快慶作の大行寺の本尊・阿弥陀如来立像=いずれも京都市下京区の大行寺で3月2日
快慶作の大行寺の本尊・阿弥陀如来立像=いずれも京都市下京区の大行寺で3月2日

 鎌倉時代に活躍した仏師、快慶とはどんな人物だったのか。僧侶、研究者、仏師という三つの視点からその姿に迫る講演会が3月2日、快慶作の阿弥陀(あみだ)如来立像を本尊とする京都の寺で開かれた。同時代の仏師、運慶との比較や、最新の調査で分かってきたことなどを語り合った。

慶の仏像について語り合う(右から)山口隆介さん、三浦耀山さん、英月さん
慶の仏像について語り合う(右から)山口隆介さん、三浦耀山さん、英月さん

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 快慶は「慶派」と呼ばれる一派の仏師で、「三尺阿弥陀」と呼ばれる三尺(約90㌢)前後の阿弥陀像を数多く手がけた。講演会場となった真宗佛光寺派・大行寺(京都市下京区)の本尊もその一つだ。住職の英月(えいげつ)さんは「とてもきれいな阿弥陀さん」と本尊を紹介し、「『アミダ』というのは『量る』ことが『ない』というサンスクリット語の音写」と解説。「私たちはつい『あの人は長生き』『良い学校を出ている』などとはかってしまうが、そればかりだと世界は狭くなる。そこに気づかせ立ち止まらせてくれるのが阿弥陀様」と語った。

 講演会には他に、奈良国立博物館主任研究員の山口隆介さん、京都市内に工房を構える仏師の三浦耀山(ようざん)さんが登壇。山口さんは、快慶と並び称される慶派の仏師、運慶との違いに注目。「運慶は二つと同じものを作らなかった。一方で快慶は理想の形が決まっていて、それを追求して同じものを作り続けた。また、運慶の作品は像そのものが発するエネルギーが感じられ彫刻作品として魅力的だが、快慶の作品は主張が少ない分、信仰の対象として拝みやすい」と比較した。英月さんも本尊に向き合うと「素直に手が合わさり、頭が下がる」とうなずいた。

 三浦さんは、現代も多くの仏師が「運慶仏より快慶仏を手本にしていると思う」と話す。「我(が)を出さず、すんなりと手を合わせられる姿というのは常に心に留めている」といい、造像の際の体の寸法や目鼻などのバランスも「快慶仏が規範となっている」ことを紹介した。快慶作とされる作品は40体あまり残っているといい、山口さんは「江戸時代以前に日本で活躍した仏師としては際だって多い。それだけ信仰を集めたのだろう」と話した。

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 近年判明した新知見も明かされた。山口さんは2017年に同博物館で開催された特別展「快慶 日本人を魅了した仏のかたち」を手がけたことを機に、内部構造を調べるX線CTスキャン装置で多くの快慶仏を調査。その結果「これまで分からなかった木材の使い方が具体的に分かってきた」。

 初期は本体と両肩から先が別々の材で作られていたが、ある時から本体と左肩を同じ材で作るようになり、晩年は両肩とも同じ材になっていた。「一つの材で作る方が効率が良く、需要が増加するなかで製作技法が改良されたのだろう。快慶がキャリアを重ねる中で、良い材をコンスタントに供給してもらえる立場になっていったということも考えられる」と約800年前の仏像工房の様子に思いをはせた。

 CTスキャンによって像内の納入品の様子も詳細に見えるようになり、お経や願文などが入っていると推測できるものの、墨で書かれた文字までは読めない。解体修理などの機会でないと中身を取り出すことはできないといい、「墨の文字まで透過して読める技術が開発されれば、いつ誰がどんな目的で作ったのか分かる時代が来るかもしれない」と期待。希代の仏師に迫る研究はまだ続く。

2024年4月15日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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