私たちの住む「日本」とはどのような場所なのか。どのような場所だと考えてきたのか。ふと立ち止まれば、遠い昔だと思ったできごとが残響のように放散していることに気づく。
近代国家として大きな変貌を遂げた時代と、今に続く国の姿について静かに問いかける3人の写真家、稲宮康人(1975年生まれ)、笹岡啓子(78年生まれ)、新田樹(たつる)(67年生まれ)と、博覧会資料の収集で知られるキュレーターの小原真史(78年生まれ)が参加した。
稲宮が大判カメラで捉えたのは、アジアを中心に海外に残された神社の跡。マンション前に狛犬(こまいぬ)だけが残されていたり、全く別の記念的場所になっていたり、横倒しにされた鳥居の周りで子供たちが遊んでいたり。大日本帝国の爪痕と同時に、現代のその地の姿を周囲の風景を取り込んで詳細に浮かび上がらせる。
昨年、木村伊兵衛写真賞と林忠彦賞を受賞した新田は、かつて日本統治下にあったロシア・サハリンに通い、残留韓国・朝鮮人やその家族を見つめた。生活のディテールや、彼女たちが暮らしのなかで目にする光景を捉え、「その後」の長い時間を描き出そうとする。
海と山に囲まれた日本、と言っても、思い起こす海や山はそれぞれによって違うはずだ。雪山と海に抱かれるようにある道、干潟を歩く人、植物がほとんど生えていない山の尾根……。笹岡はなぞるようにその輪郭をたどった。
この写真展を他とは異なるものにしているのは、小原が収集した、国内外で催された戦前戦後の博覧会の資料。博覧会が提示したのは視覚化した帝国のファンタジーなら、笹岡が自らの足で確かめながら示した写真は対極にあるだろう。一方、小原の資料を見た後では、富士山より高い山に入って駐在所を作り、密林を進んでまで境界を拡張しようとした、あの時代の足跡もまた想像せずにはいられない。
本展の会場は、博覧会場として利用されてきた上野公園内にある。博覧会の後継者である美術館や博物館もまた政治的な場であることを、祝祭的な博覧会ポスターの数々が伝えている。東京都美術館で、30日まで。
2024年6月24日 毎日新聞・東京夕刊 掲載