ブックデザイナー・祖父江慎さん

 「アートの島」として世界的に知られる瀬戸内海の直島(なおしま)(香川県直島町)に2025年春、新たな美術館がオープンする。「直島新美術館」として安藤忠雄さん設計の建物が建設中で、一足早く館名のロゴが発表された。なじみのある明朝体にも見えるが、部分的に丸く大きく曲がり、見る者に引っかかりを残す文字列。手掛けたのはブックデザイナーの祖父江(そぶえ)慎さん(65)だ。なぜブックデザイナーが美術館のロゴを手掛けるのか。

 ◇アートの島と、ほんとの関係は?

 祖父江さんは5月末、ロゴのプレス発表にさきがけて直島の住民向けに開かれた発表会に登場し、今回のデザインに込めた意味のみならず、40年以上に及ぶ制作活動で軸となっている考え方についても語った。

 ブックデザイン界の大御所である祖父江さん。1990年代に、吉田戦車さんの漫画「伝染(うつ)るんです。」の単行本に乱丁・落丁を取り入れた仕事で評判を呼び、その後の絵本「うさこちゃん」シリーズ(ディック・ブルーナ作、いしいももこ訳)のリニューアル時には「音を大事に、子どもがゆっくり読んでいけるように」と専用のフォントを開発した。

 また、夏目漱石の小説「坊っちゃん」について初出以来の文字組みや印刷の変遷を丹念に調べ上げ、ついには1㍉あたり4文字ほどずつ縦組みや横組みにして、はがきサイズの1㌻に全編を収めた〝本〟をつくったり、道後温泉(松山市)のホテルの一室を丸ごと使って、玄関先ののれんやドアの裏、天井などに書かれたテキストを読み進める〝本〟にしてしまったりしたこともある。

 そうした仕事の延長で、展覧会の空間デザインも手掛けている。「美術館は大きな本のようなもの。展覧会も第1章、第2章……と構成されていたりするし」と話す祖父江さん。ブックデザインという自身の仕事を「本というビジュアルやテキストと、それを見る人との間の距離を、いい感じに保っていく、関係の美学だというつもりでやっています」と言い表し、自らを「距離屋さん」と称する。この感覚が、美術館のロゴづくりのベースにもあるようだ。

 直島には既にベネッセハウスミュージアム、地中美術館、李禹煥(リウファン)美術館などがあり、今回の直島新美術館が「直島につくられる最後の美術館になる可能性が高い」(福武英明・福武財団理事長)とされる。地上1階、地下2階建て、延べ床面積3176平方㍍、周囲の集落になじむ黒しっくいの外壁で、次回の瀬戸内国際芸術祭が開幕する25年4月に開館予定。キュレーターの三木あき子さんが館長を務め、日本を含むアジア地域の現代アート作品を展示替えしながら公開するほか、関連トークなども継続して行い、島内外の人々が交流できる場を目指すという。

 祖父江さんは「伝達」「発信」「交流」といったイメージを挙げる。「日本では、美術について社会や生活と切り離して語られることが多かった。今度の美術館は、社会や生活との関係を見つめる場所になるんじゃないかな」と期待し、物資不足の戦時中に小さな文字でも読みやすいように設計された新聞用の扁平(へんぺい)明朝体をベースとした。

 縦線と横線の太さを近づけ、線に囲まれた部分を大きく取った書体。パソコンやスマートフォンのモニター画面で文字サイズが変わっても対応できる活字だと位置づける。

 ◇最終画に意思表示

 特徴が目立つのは「直」の字の最終画。角の部分が大きく曲がって丸くなっている。祖父江さんは「直島に来てみると、住んでいる人たちの優しい、たおやかな感じがとっても良かった。柔らかいいい感じを出したいなと考えた」。この最終画の形は、美術館群を運営する福武財団の発足当初(当時・直島福武美術館財団)のロゴに使われていたものでもあり、「アートを使って離島を元気にする」(福武総一郎名誉理事長)という財団の原点を確認する意思表示にもなっている。

祖父江慎さんが手掛けた「直島新美術館」のロゴ=コズフィッシュ提供

 さらに工夫されているのが、「美」の字の真ん中などに少し隙間(すきま)を入れた点だ。風が左から右へ流れるような、風通しの良さをイメージしたという。英文も、小文字も大文字の形のまま使われるタイプライター文字がベースで、やはり「伝達」のイメージと結びつく。

 ◇変容も受け入れる

 こうして作り込んだロゴも絶対というわけではない、と祖父江さんは考えている。もちろん基本となる考え方や形は大事にしたうえで、「重い内容の作品が来たときには重々しくしてもいいし、かすれても、インキつぶれが起きてもいい」という。少々変化しても大丈夫なものをつくったという自負でもあるだろうが、それだけではない。一度決めたものに固定してしまうことの方が心配だという。

 別の言い方をすれば、ロゴを分かりやすい「記号」に固めてしまいたくないという考え方だ。「そもそも(変化する)生き物と(固まった)記号とは、あんまり関係が良くないと考えているんです」と話す。

 自身は「うっとり力」「うまくいかない喜び」を大事にして生きてきたという。何かすてきなものを見たときに我を忘れる力、いつもと違うと感じたときにワクワクできる力を創作の源としてきた。「見る人と、見られるものとの関係を取り持つ、ちょうどいい距離を丁寧に考えていく仕事がデザイン。固まった前提から離れれば、関係って本当に豊かなんです。今回のロゴがどう展開していくか、皆さんで育てていってほしいなと思います」

 ◇地中美術館 真っすぐ、幾何学的に

 祖父江さんは、直島にある地中美術館=安藤さん設計・04年開館=や豊島(てしま)(同県土庄町)にある豊島美術館=西沢立衛さん設計・10年開館=のロゴも手掛けてきた。

 まず、地中美術館。自然と人間との関係を考える場所として、文字通り建物の大半が地中に埋め込まれている。

地中美術館のロゴ

 「違和感としての幾何学が、自然の中に埋まっている力強さ」を感じたという祖父江さんは、ロゴを「天地を真っすぐ、幾何学的に」つくった。縦の線がくっきり太く、横の線は細い明朝体だ。明治初期、日本に金属活字が生まれたころに大きなサイズで使われた「初号活字」をベースにしたという。

 文字の配置は固定されておらず、等間隔で幾何学的に伸び縮みすることも想定されている「動くロゴ」。アルファベット表記の方は文字の間隔がまちまちに見えるが、これはそれぞれの文字の形にかかわらず1文字分の枠の幅を均等にしているため。文字によって左右の隙間にばらつきが生じるが、「(一律の)数字を優先して、崩れたバランスを愛するという考え方」だと解説した。

 ◇豊島美術館 柔らかくひゅうっと

 一方、豊島美術館は、大きな開口部のある水滴のような形のコンクリート構造。訪れた鑑賞者は、その内部に入って、床にゆっくり「泉」ができていくのを見守ることになる。祖父江さんは「柔らかい、潤いがある空間」と捉えて、ひらがなに近い「左右にひゅうっと広がる」タイプの明朝体をつくった。精妙な線で、写植文字の雰囲気も念頭にあるという。

豊島美術館のロゴ

2024年7月17日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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