『二人の美術記者 井上靖と司馬遼太郎』を刊行したホンダ・アキノさん=東京都千代田区で、宮本明登撮影

 ノーベル賞の候補になった井上靖。国民的作家と言える司馬遼太郎。この2人が新聞記者だったことは知られている。だが美術記者だったと聞けばどうだろう。井上は毎日で戦争を挟んで約10年、司馬は産経で戦後の約5年間、時期は違えども同じ大阪を拠点に同じ分野を取材していた。2人に前歴から出会い直したのが、ホンダ・アキノ著『二人の美術記者 井上靖と司馬遼太郎』(平凡社)だ。

 昭和30年代半ば。司馬は新聞社の退職手続きをした日に、酒場で井上と顔を合わせる。司馬にとって大きな意味があったという運命的な出会いから、本書は始まる。

 著者は平凡社の編集者として約25年勤めた。「作品は好きで読んでいましたが、それぞれ雑誌『別冊太陽』で特集を組んだときに、美術記者だったと知りました。自分にとっては大きな発見で、ずっと気になっていたんです」

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 〝井上記者〟は戦争画について評を書き、戦後は美術団体の創設という特ダネも書いた。〝福田記者〟(司馬)は美術批評の仕事を「いやだ」と言いつつ、画廊をこまめに回っていた。
 傾倒した画家、見た作品、訪れた場所……。本書は2人の接点を見いだしていく。〝美人画〟の上村松園と、それぞれが小説で描いた女性像。画家の三岸節子や、陶芸の分野でいえば河井寛次郎や八木一夫。とりわけ、美術史研究から制作に転じた画家・須田国太郎とのエピソードは印象的だ。

 「少からず興味を抱いていた」(井上)「つよい衝撃をうけた」(司馬)にもかかわらず、画家を取材すべき記者時代、2人とも須田と相対することを避けた。画家に対する畏れや含羞が、人間としての輪郭を際立たせる。

 また、井上はスペインの画家ゴヤにのめり込み、恐ろしいほどの熱量で文章をつむぐ。シルクロードを共に訪れた際には、司馬は当時の画工や仏師に思いをはせ、かつ、とりつかれたように取材する井上という人を見つめる。

 「改めて作品を読み返すと、井上さんは淡々とした硬質な文体の中にえたいの知れなさがある。司馬さんは人に対する観察眼が卓越していると気づきました」

 2人の共通項に加え、著者の縁がいっそうこの本を面白くする。美術史を学びたいと井上と同じ京大大学院に進んだものの、研究の道をあきらめた。新聞社に就職後は美術記者を目指したが、転職。執筆は、自身の「回り道」の意味を問う旅でもあった。自分のことを多く語るわけではないが、この問いは終始静かに流れる。

 「かつては職業としての美術にこだわっていました。でも、回り道って、回り道じゃないんだなと。研究をしていたから書けたのだと言い聞かせています。編集者として企画を立てたことも、出合うべくして出合ったのかもしれません」。井上も司馬も望んで美術を担当したわけではなかった。しかし、その時代にもがいたからこそ、開けた道があると結ぶ。「組織にしばられていたとしても、どこにいても心は自由で、それをどのように発揮していくかはその人に任されているんですよね」

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 筆名は、30代で亡くなった父の生母からとった。「ホンダ・アキノ」としての第1作だ。手をつけて足かけ10年あまり。3年前に出版社を退職し、本作を本格的に書き始めた。解放感にひたっているのかと思い尋ねると、すぐに否定した。「宿題が終わったので、やっと次にとりかかれます」

2023年11月13日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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