小川晴暘(せいよう)(1894~1960年)の名を知らなくても、その写真を見ればピンとくる人は多いだろう。真っ暗な闇の中、光を浴びて浮かび上がる仏たち。芸術的な写真は切手などにも使われ、仏像の魅力を広く世間に知らしめた。

 晴暘が1922年に創業した、仏像など文化財撮影専門の写真館「飛鳥園」(奈良市)のあゆみを振り返る特別展「小川晴暘と飛鳥園 100年の旅」が奈良県立美術館で開かれている。晴暘と、その後を継いだ三男・光三(28~2016年)の作品を通じ、仏像の美しさだけでなく、そこに込められた祈りまで感じ取れる。

 晴暘は兵庫県姫路市生まれ。10代のころに画家を志して上京し、洋画を学ぶかたわら、明治天皇の「御真影」を撮影した写真家の丸木利陽に師事し写真技術を身につけた。しかし、たまたま訪れた奈良の仏像に引かれて関西に戻り、新聞社の写真部で働くように。その頃撮影した石仏の写真を偶然目にした歌人で美術史家の会津八一の強い勧めで、飛鳥園を創業する。

 晴暘の特徴である「黒バック」にも会津の影響があった。会津から見せてもらったギリシャ彫刻の写真集が黒い背景で撮影されていたことに心を打たれたという。「日本の仏像も負けないという思いでその手法を取り入れ、画家としての自身の表現を掛け合わせたものが晴暘の仏像写真だったのでしょう」。展覧会を担当した県立美術館の三浦敬任学芸員は語る。

 「新薬師寺金堂 十二神将・伐折羅(ばさら)大将像」は、今まさに咆哮(ほうこう)したかのような激しい表情を捉えた作品。同時に1000年以上、人々を見つめてきたまなざしの優しさを穏やかな光の陰影で切り取る。500円切手のデザインにも使用された代表作の一つだ。

小川晴暘「新薬師寺金堂 十二神将・伐折羅大将像」 飛鳥園蔵ⒸAskaen.inc

 晴暘はアジアの仏教美術にも心を寄せた。中国の仏教遺跡・雲崗石窟(うんこうせっくつ)を描いた壮大なスケッチ画からは、画家としての力量も伝わる。

 一方の光三は父の作風を継承しつつ、カラー写真や、少し白みがかったグレーバックなどの表現も用いた。中でも聖林寺(奈良県桜井市)の十一面観音像を「私の最も好きな観音像」と述べ、さまざまな角度からの作品を残した。

小川光三「聖林寺 十一面観音像 左頭部側面」 飛鳥園蔵ⒸAskaen.inc

 光三は仏像について、私たちの祖先の願いや思いが秘められた礼拝の対象であるとし、「仏像を撮影するという作業は、そうした人々の心に焦点を合わすことだと思う」と語っていたという。何も写っていないはずの背景に、目を凝らしたくなる。

 晴暘の孫で、光三のおいに当たる3代目社長の小川光太郎さんは「日本の仏教美術の素晴らしさを伝えようとした2人の人生を振り返る機会になればうれしい」と語る。6月23日まで。その後、姫路市立美術館(7月6日~9月1日)など全国3館を巡回。

2024年5月5日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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