「表層的な美しさの、その奥にあるものに迫りたい」と、美術家の井上廣子(ひろこ)さんは言う。1999年以降、ドイツと日本を行き来し、主に映像作品を制作。「命の根源」としての水を主題にした代表シリーズ「MIZU」を中心とする新作個展「Being the Stream」が、大阪市中央区のヨシアキイノウエギャラリーで開催中だ。
縦1.5㍍、横1㍍の大画面を覆う無数の水の粒。暗がりの中、それらは銀色に輝き、目を凝らせばうっすらと虹が浮かび上がる。どしゃぶりの雨を思わせる光景はどこか幻想的で、美しくもある。本作を含む「MIZU」シリーズ約10点が展示室に並び、インスタレーションのように空間を構成。別の一室では、同じ場所で撮ったビデオ作品が2面の壁に投影され、水面を打つ激しい音がやむことなく流れる。
一連の作品の撮影地はドイツのルール地方にある火力発電所。銀色の〝雨〟は有害物質を含む冷却水のシャワーであり、命を育む自然の雨と対比される。「かつて石炭や鉄鋼業で栄えた工業地帯は、ナチス・ドイツを資金面で支えた場でもある。現在の風景の背後にある歴史、その光と影を作品にしたかった」と井上さん。
ほとんど抽象的な「人工雨」のイメージは、情報の洪水に溺れ、先行きの不透明な現代社会をも映し出す。2014年に始めたシリーズを22年に撮り直した理由について、「新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)やロシアのウクライナ侵攻などさまざまな危機が続く今、一体何が起きているのか、表層の奥を問うこの仕事が改めて大事だと思った」と説明。「世界はよどみの中にいるけれど、デモなどで声を上げる若い世代が希望」とも話し、個展名には「小さな流れが大きなうねりになる」との願いを込めた。
阪神大震災をきっかけに「人間とは何か」という問題意識を抱き、社会性のある作品を手がけてきた。今展では、女性のポートレートに薬剤を塗ってひび割れを生じさせ、それを撮影した最新作も発表。亀裂は「コロナ禍で孤立を強いられた女性たちの心の傷」という。まるでクモの巣に捕らわれたような姿は、混迷の時代を生きる現代人の自画像でもある。現在、ドイツの難民キャンプで取材を続けており、同様の手法を用いたポートレートをシリーズ化する予定だ。24日まで。
2023年6月14日 毎日新聞・東京夕刊 掲載