西瓜姉妹(ウォーターメロン・シスターズ)の作品=愛知県一宮市で

 依然コロナ禍が続くなか、各地で芸術祭が開かれている。愛知県では、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の騒動後、名称を変えて再出発した「あいち2022」が、宮城県石巻市では、「リボーンアート・フェスティバル2021-22 後期」が開催されている。

 5回目の「あいち」(10月10日まで)には4地区の会場に、32カ国82人・組が参加。表現の自由を巡って議論を呼んだ前回から名称と運営体制を変更し、初回から会場の一つだった名古屋市美術館が外れた。
 芸術監督は、愛知県出身で東京・森美術館館長の片岡真実。コロナ禍を経験した世界に向けて、河原温の作品シリーズ名から「STILL ALIVE」をテーマに掲げ、目配りの行き届いた展示となった。

 核となる名古屋市の愛知芸術文化センターの展示は、世界地図の「MONDE(世界)」の文字を「UTOPIE(理想郷)」に書き換えたマルセル・ブロータースから始まる。移動や他者との接触が困難になる事態を経て、アートが持つ、想像力によって視点を変える試みが今一層響く。

 パフォーマンスアートへの注目も特色の一つだけあって、抽象的な作品も身体に訴えかけるものが多かった。自殺をほのめかしたあと、河原温が「I am still alive」と送り続けた電報、百瀬文の映像作品、ジミー・ロベールやリリアナ・アングロ・コルテスなど、他者の身体を考えることは、他者の文化を思うことでもある。切断した手足に感じる「幻肢痛」から、集合的記憶の喪失を読んでいくカデール・アティアの映像作品は特に心に残った。充実したラーニングプログラムによる住民の参加の試みも、前回展で受けた「傷」の修復行為なのかもしれない。

 毛織物の歴史を持つ一宮市の旧看護学校では、共に映像作品で、西瓜姉妹やケイリーン・ウイスキーが生(性)の賛歌を共に歌おうと手を差し伸べる。羊毛をより合わせたかもしれない手は、私たちをケアする手でもある。旧銀行に展示された奈良美智の作品の少女も、厚い壁に守られているかのようだ。

 窯がある路地を縫うように歩く常滑市には、音が響いていた。シアスター・ゲイツがかつての住宅に響かせたブラックミュージック、地域住民の物語を漫画で表した尾花賢一の吹き出し、トゥアン・アンドリュー・グエンの映像作品で語られる先祖の記憶もそうだ。

 絞り染めで知られる名古屋市の有松では、サモア生まれのユキ・キハラら先住民族にルーツを持つ作家の作品も多く、AKI INOMATAも含め自然と関係を結びながら文化が生まれたことを伝える。伝統的家屋を利用した展示は、プリンツ・ゴラームの作品のように、畳の上で心身を解放して作品世界に入り込むことができた。

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 社会問題や政治、あるいは見知らぬ場所。目の前の糸をたぐり寄せれば、遠い世界に着地できると呼びかけるのは、「リボーン」(10月2日まで)も同様だ。ワタリウム美術館(東京)の和多利恵津子、和多利浩一がキュレーターを務め、21組・人が参加した。

防潮堤と大動脈の日和大橋に囲まれた場所にあるサイドコアの展示=宮城県石巻市で

 東日本大震災で大きな被害を受けた石巻を会場に、3回目を迎えたリボーン。訪れる人は、海と山に恵まれた石巻の文化だけでなく、震災と復興について思いを巡らせることになる。例年よりコンパクトになった今回は石巻南浜津波復興祈念公園が会場に加わり、川俣正が灯台のように明かりがともる木組みの塔を建てた。川俣は「ものを建てるのは意思の表れ」だと語り、会期後も制作を続けて倍の高さ15メートルほどにする予定だという。

 近くの防潮堤のそばの空き地には、「サイドコア」が「何も作り出さない工事現場」を立ち上げ、東京から石巻までの各地で採集した音で満たした。音に誘われて周囲を歩くと、目に飛び込む風景にくぎ付けになる。

 営業を終えた街の鮮魚店では、小説家の朝吹真理子と弓指寛治が地域の人々の物語に耳を傾けた。魚のにおいの残る室内と共に石巻の記憶が文章や絵で色濃く浮かび上がる。風間サチコは名所のイメージや伝承から、風景が持つ意味を読み込んだ。参加作家の最年少は1995年生まれの渡邊慎二郎。初回から参加するサイドコアも含め、新しい表現に出合えるのもリボーンの魅力だ。

2022年9月22日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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