モダニズム建築の巨匠、前川国男(1905~86年)の代表作のひとつ、東京都千代田区丸の内の「東京海上日動ビル」(以下、本館ビル)の取り壊しが間もなく始まる。モノクロームのビル群の中で異彩を放った、赤茶色の本館ビル足元の広場は仮囲いに覆われ、10月からの解体工事に向けて準備が着々と進んでいる。
本館ビルは地上25階、地下5階、高さ約100㍍で、74年に完成した。都市に高層ビルが建ち始める、さきがけとして注目を集め、設計段階の60年代には皇居を見下ろす高さをめぐり「美観論争」も巻き起こした。
2021年3月、東京海上ホールディングスが本館ビル解体を発表すると「戦後の都市開発の歴史を伝える貴重なビルを壊さないで」と保存を求める声が上がる。前川事務所OBらが結成した「東京海上ビルディングを愛し、その存続を願う会」(奥村珪一会長)が中心となって書籍を刊行したり、シンポジウムや見学会を開いたりして本館ビルの魅力を市民に広く伝えると同時に、同ホールディングスに本館ビルの建て替え中止を訴えてきた。
今年8月、同会はこのビルを次世代につなぐためのアイデアや意見を公募。31日には、前川建築設計事務所(新宿区)に全国から寄せられた17のアイデアを掲示し、発案者とOBらが意見交換した。「建築は誰のものか」と問いかけた建築構造が専門で東京大名誉教授の神田順さん(74)は「建築は社会資産。どうしたら使い続けられるか、所有者だけでなく自治体も関与できるようにすべきではないか」と提案。また、前川建築の撮影を続けるパタンナーの江田悟志さん(46)は「5階ほどの部分まで現在の外観が残せないだろうか。前川さんが公共的な空間として市民に開放した広場の哲学も継承してほしい」と訴えた。
奥村会長は間もなく解体工事が始まることを受け、「解体を止めることはできなかったが、この活動がせめて、これからの日本の建築のあり方を考えるきっかけになれば」と話す。同じ前川の設計による「宮城県美術館」は県民による熱心な運動により、20年に移転ではなく現地改修での存続の道が開けたが、本館ビルについては、民間企業の所有物であること、一般市民の利用が少ないことなどが要因となり、運動の広がりを欠いたと分析する。
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では同ホールディングスが28年度までに同地で完成を目指す新本店ビルはどのようなものになるのか。
設計は世界的に著名なイタリア人建築家、レンゾ・ピアノさんが担う。柱や床には国産木材を使い、その総量は世界最大規模になる見通しだ。同ビルに隣接する新館と一体で建て替え、高さは現在のものとほぼ同じ約100㍍になるとしている。東京海上日動のコーポレート運用部、平野昌史専門次長は取材に「国産木材の需要を創出することで日本の森林、林業の再生、地方の雇用創出などに役立ちたい。東京・丸の内の真ん中に木造ビルを実現させることで、後に続く木造化の動きを加速させることもできるのではないかと考えている」と語る。
今年2月には大学教授ら建築史の専門家4人を委員としたコミッティーを設立。本館ビルの歴史的価値をめぐる調査を行っているといい、記録の残し方の他、解体の際には特徴的な部材を採取し、保存・活用することも検討しているという。広場に設けられた流政之による彫刻は、社内の別施設への移設を予定している。
同部不動産グループの井上次郎参事は「コミッティーで進めている調査の状況を見ても確かに、本館ビルは建築史上、価値を持つ建物であると考える。われわれ社員も大なり小なり取り壊しにはさみしさを感じている」とした上で、「損害保険会社として、災害時の業務継続計画を向上させるためには、ビルの災害対応能力を抜本的に改善することが不可欠。建物の価値を認識しながらも、本館ビルの建て替えは必須という結論に至った」と説明した。
2022年9月21日 毎日新聞・東京夕刊 掲載