「ビルケナウ」(左の4点)と、その下に描いた際に参照したアウシュビッツの写真4点=東京国立近代美術館で、平林由梨撮影

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ゲルハルト・リヒター展
豊かな知覚体験と遭遇 生誕90年、国内初公開作品も多数

文:平林由梨(毎日新聞記者)、高橋咲子(毎日新聞記者)

現代美術

 現代で最も重要な画家と言われるドイツ・ドレスデン生まれのゲルハルト・リヒター(1932年生まれ)。生誕90年を迎えた今年、首都圏のいくつかの美術館で、60年以上におよぶ芸術的実践に触れられる展覧会が開かれている。

 東京国立近代美術館(東京・竹橋)で開催中の「ゲルハルト・リヒター展」(10月2日まで)は、ゲルハルト・リヒター財団と作家本人の所蔵品を中心に、約120点で構成する大回顧展。このうち85点は日本初公開作品だ。

「8枚のガラス」展示風景=東京国立近代美術館で

 リヒター自身がマケット(模型)を制作し、作品の配置、展示構成を練った。章構成や展示順路はなく、見る人は関心の赴くまま、自由に行き来できる。会場の中心には「8枚のガラス」(2012年)が据えられた。背丈を超える大きなガラスがわずかに角度をつけて並べられている。前に立つと向こうの壁が見通せる。同時に自分の姿が映り込む。他の鑑賞者の気配も映す。ガラスそれ自体にも目は止まる。何に、どう焦点を合わせるか。見ることの複雑さやクセを浮かび上がらせる装置が鑑賞の起点にある。

 4枚の絵画からなる「ビルケナウ」(14年)は、その散逸を防ぐために財団が設立された経緯を見ても、リヒターの画業で特に重要な位置を占めるものだ。一見、黒、白、赤、緑を用いた抽象画だが、リヒターはまず、そこにユダヤ人大量虐殺の現場となったアウシュビッツのビルケナウ強制収容所で隠し撮りされた写真を描き取った。そしてその上から「スキージ」と呼ぶ自作の大きなヘラで絵の具を塗り重ねた。同じ部屋に展示された写真を頼りに絵画からそのイメージを読み取ろうとしてもできない。どう描かれたのか、なぜそれらは見えないのか、絵画は突きつける。

 本展を企画した同館の桝田倫広・主任研究員は、目を喜ばせるだけの絵画を「網膜的である」と否定し、便器などの既製品、いわゆるレディーメードを通し、コンセプチュアルアートを提唱した作家、マルセル・デュシャンの名前を挙げてこう語る。「リヒターは、デュシャン以降において、イメージを作るとはどういうことか、このことを問い続けた作家だろう」。新聞や雑誌に掲載された写真や家族の写真をカンバスに精緻に写し取ったフォトペインティング、灰色の絵の具で覆われたグレーペインティング、実在する色見本を描き並べたカラーチャートなどの作品群がこの問いを体現する。

 80歳を超えてもマンネリ化せず、新たなスタイルを更新し続けた。作品が内包する問いは多くの批評を呼び、時に「難解」とも言われる。しかし実際に作品と対面すると、ひとつひとつが力強く、豊かな知覚体験が味わえることも事実だ。多くの人々に作家が支持されてきた理由が実感できる展覧会となっている。

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 ポーラ美術館(神奈川・箱根)で開催中の開館20周年記念展「モネからリヒターへ」(9月6日まで)では、20年に約30億円で購入したとされる1987年作の油彩画「抽象絵画(649―2)」が初公開されている。

 見どころは、光をテーマに、新旧のコレクションを並べていること。同作も、モネの「睡蓮の池」(1899年)の隣に展示。スキージや筆を用いて層になった色彩は、モネが描く水面や水面に映り込んだ柳、池のスイレンのイメージと重なる。工藤弘二学芸員は「時代や地域を超えて美術が響き合うと感じてほしい」と話す。白黒の写真を基に描いた「グレイ・ハウス」(1966年)と、ヴィルヘルム・ハマスホイ「陽光の中で読書する女性、ストランゲーゼ30番地」(1899年)が共にある空間も捨てがたい。

 国立西洋美術館「自然と人のダイアローグ」展(東京・上野、9月11日まで)でも、リヒターの写真に基づく油彩画「雲」と、モネの「舟遊び」を並べて展示している。

2022年8月24日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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