数々のプロジェクトが人々をざわつかせ、波紋を呼んできた「Chim↑Pom(チン・ポム)」。このアーティスト・コレクティブ(協働集団)の歩みを紹介する大規模個展「ハッピースプリング」(5月29日まで)が、東京・森美術館で開かれている。メンバーの卯城竜太さん(44)に話を聞くと、摩擦のなかで重ねた対話や交渉にこそ意味があると思えてくる。

 1977~83年生まれの6人組で、2005年に結成。広島市の原爆ドーム上空に、飛行機雲で「ピカッ」と書いた「ヒロシマの空をピカッとさせる」(09年)や、東京・渋谷駅構内の岡本太郎の壁画の空白部に、東京電力福島第1原発事故をイメージさせる絵をゲリラ的に加えた「LEVEL 7 feat.『明日の神話』」(11年)、原発事故の帰還困難区域で開催する国際展「Don’t Follow the Wind」(15年~)などで知られる。

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 本展で象徴的に存在するのが「道」。地べたを踏みしめて制作してきたチン・ポムだが、ここ53階の展示室にも、アスファルト舗装などで作った道を設けた。道は公共性のメタファーでもある。

 公共空間に介入すれば、摩擦も生じる。映像やインスタレーションの傍らには「賛否両論全部見せる」(卯城さん)年表を添えた。年表は、更新され続けていることに意味がある。例えば、謝罪会見まで開き、広島市現代美術館での展示が中止となった「ヒロシマ~」。本展開催に際し、21年に広島の被爆7団体と面会。22年にも広島を再訪している。

 卯城さんは騒動当時、広島県原爆被害者団体協議会の理事長で、21年に96歳で死去した坪井直さんの言葉に支えられたと語る。「謝罪会見の後、『諦めんで頑張んなさい』と言ってくれたんですよね。以降も(被爆者ら多くの人と)話し合うことでドアが開き、自分たちも影響を受けた。立ち止まるのではなく、前へ進もうと思わされた」

 この作品について、記憶の風化を表したかったならば、広島ではない場所、例えば東京上空がふさわしかったのではないか。軽い表現に傷ついた人がいたのでは、と問うと「その一面はあると思います。正しかったかそうでなかったかは、自問自答を続けています」とうなずく。そのうえで原発事故直後に制作した作品を挙げ、「だけど、福島に行けたこともそうですけど、無力感にとらわれて止まるよりはいいと思う。もちろん、たまには止まって考えたりはするけれども、進むことで見えてくることは必ずあると思います」。

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 國立台湾美術館では、館内に「道」(17~18年)を引き込み、飲酒やデモなどの行為を「道」上では可能にするよう館と交渉。美術館は公共空間たりうるか問いかけた。

 森美術館でも、託児スペースを設け、「道」でイベントができるように試みた。一方で、「ピカチュウ」を模した初期の作品「スーパーラット」は館内で展示ができず、館側と対話を重ねた末、別会場での展示となった。いかに美術館が、運営する会社や役所、鑑賞者ではない〝市民〟に振り回されずに、決定権を持つか。「規制が厳しくなるなか、美術館としての自律性をどう保つかは大きなテーマ」だと話す。

 チン・ポムにとっての公共とは。「僕ら6人いることがミニマルな公共の形だと思う。17年もやっているとけんかもする。そこで厳しさを分かちあい、乗り越えて一つのものを作れるかどうか。ビオトープのように、異なる存在が互いを動かしながら一つの入れものを作っている。公共の話もそこに尽きるんじゃないかな」

2022年4月6日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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