天王洲アイルの1950年代の街並み=寺田倉庫提供

 コンクリート打ちっぱなしのひんやりとした空間にピアノの音が響く。東京のウオーターフロント、品川区の天王洲アイル。倉庫を改装したイベントスペースに7日夜、世界各国からアート関係者やアートコレクターらが集まった。

 聴き入っていたのは、オランダを拠点に活動するアーティスト、向井山朋子さんのピアノを用いたパフォーマンス。「figurante(フィギュランテ)」と題したその公演には舞台も客席もない。床一面に敷かれたもみ殻の上に、観客は思い思いの格好で腰を下ろした。向井山さんが演奏を終えると惜しみない拍手が送られた。

倉庫を改築した会場でパフォーマンスを披露する向井山朋子さん=Photo by Yukitaka Amemiya

 このパフォーマンスは、7日から9日までパシフィコ横浜(横浜市)で開かれていたアートフェア「Tokyo Gendai」の連携プログラムだという。現代美術の国際フェアで、欧米や中国、韓国などから73のギャラリーが集まった。

 このフェア開催を機に、横浜との間に無料のシャトルバスを運行し、多くのアートファンをこうして引き込んでいた場所が近年、「アートの街」として存在感を高めている天王洲だった。

 かつては倉庫や物流センターが一帯を占めた湾岸エリア。1980年代にオフィス街開発地に指定され、ビルが整然と建ち並ぶと「トレンディー」と人気を博したが、2000年代に入ると日本経済の失速ともあいまって下火に。それが今、再び注目を集めている。

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 りんかい線と東京モノレールが乗り入れる天王洲アイル駅から、運河に向かって西に進むと、この街ならではの施設が次々と現れる。

運河越しに見る現在の天王洲アイル=東京都品川区東品川で2023年7月5日、平林由梨撮影

 アートコレクターの所蔵品を見せる「WHAT MUSEUM」▽建築家や設計事務所から預かった建築模型を保管し、一部を展示する「建築倉庫」▽若手アーティストの作品を鑑賞、購入できる「WHAT CAFE」▽アートギャラリーが集積する国内最大級のアートコンプレックス▽そして向井山さんがパフォーマンスを行った巨大なイベントスペース――。実際に訪れると、その多くは倉庫そのものか、改築したものだと分かる。

 運営するのは、天王洲に本社を置く倉庫会社「寺田倉庫」だ。50年、寺田保之助氏が漁師の網小屋を買い取り、約200坪の倉庫をかまえて創業した。大型冷蔵庫などまだない時代に氷を毎日運び入れ、温度と湿度を徹底的に管理した。その技術は政府に認められ、当時の食糧庁から備蓄米の保管倉庫にも指定された。

 変化のタネは70年代にまかれた。家財の保管を手がけるようになると、ワインや絵画、骨董(こっとう)品といった貴重品が持ち込まれるようになったのだ。後に2代目社長となる保之助氏の息子、保信氏は高い保管技術を生かして当時としては珍しい、美術品専用の倉庫をかまえた。これまでに保管した美術品は数十万点に上る。

 そして創業家3代目となる現在の社長、寺田航平氏(52)は「祖父も父も新しいことが好きな起業家でした」と振り返り、こう続けた。「80年代後半ごろから美術品の所有者らが天王洲を訪れるようになり、この街をより魅力的にしていこうという機運が高まった。社としてそこにアートで関わっていこうとかじを切ったのがこの頃でした」

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 その寺田社長が今、描くのは「天王洲を世界一のアートシティーに」との構想だ。国内外からギャラリーが次々と集まり、アーティストが滞在制作する、そんな街へとさらに変化させたいという。

 海外ギャラリーに積極的に進出してもらおうと昨年、保税ギャラリースペースをこの地に常設した。海外の美術品を、関税を一時保留状態にして閲覧、保管できるのだという。保管する美術品をデータ化することで個人の好みに合わせた作品をリコメンド(推薦)する、ITベンチャー出身の寺田社長ならではのシステム開発も検討中だ。

 同社の取り組みは、単にアートファンを増やし、自社倉庫の荷主を増やすにとどまらない広がりを見せている。壁一面に並ぶ色とりどりの小瓶が店外にも鮮やかな「PIGMENT TOKYO」がその象徴だろう。約4500色の顔料の他、すずりや墨、絵筆やはけ、にかわや和紙などさまざまな画材を扱う専門店だ。アートシーンを下支えする画材メーカーを後押ししようと2015年に開業した。渡辺和チームリーダーは「国内のすばらしい技術を持つ生産者の取り組みをここから広く紹介することで伝統や文化を守り、技法や表現のバリエーションも後世に残せる」と話す。

 安定した需要のある倉庫業はともすると保守的になりがちだが、同社は美術品の保管をきっかけに、試行錯誤を続けてきた。「きれいな箱を作っておしまいではなく、それを活用する仕組みやしかけを考え、命を吹き込むことで、アートのあるライフスタイルがより身近に感じられるような社会にしたい」。寺田社長はそう展望している。

2023年7月12日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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