重要文化財 唐紙和漢朗詠集切 藤原定信筆 1幅 彩箋墨書 28.1㌢×94.4㌢ 平安時代・12世紀 京都国立博物館蔵 出典:ColBase

【書の楽しみ】
アート、内容、料紙を賞する

文:島谷弘幸(九州国立博物館長、国立文化財機構理事長)

 書作品には、さまざまな楽しみ方があるが、1番目は書をアートとして捉える楽しみ方である。2番目に、書かれている和歌や文章に強い関心を持つ方も多い。さらに3番目は、揮毫(きごう)に用いられた料紙に目が行く方もある。今回の「唐紙和漢朗詠集切」は、そのすべての要素を含んでいる。

 書をアートとして捉える人でも、書のすべてに関心がある人、中国の書、日本の書、優美な古筆、闊達(かったつ)自在な書、精神性をも大切にする禅宗僧侶が揮毫した墨跡が好きな人などさまざまであろう。図版は、速筆で歯切れの良い筆致で、リズミカルで流動感に溢(あふ)れており、一見すると奔放自在に見える。しかし、その根幹には三跡として名高い藤原行成を祖とする端正な和様の書法がある。世尊寺家の祖として行成が掲げられるが、これは鎌倉時代になって行成までさかのぼって世尊寺家と称するようになったものである。この筆者は、その行成から数えて5代目にあたる定信で、多くの遺墨を残す当代一の能書であった。

 父・定実の残した「巻子本古今和歌集」「元永本古今和歌集」とは全く書風を異にするように見えるが、定実と定信の書を丹念に比較すると、字形に共通する構造がある。しかし、定信が若いころより一字一字の字形にとらわれず、全体の流れと躍動する美しさを追求したため、文字の構造は踏襲しつつ、線質や肉付きに個性が出てきたのである。この点は、今後の書の展開を考える上でも参考になるであろう。書の古典や師匠の書を学習して習得した後、あるいは習得しながら、自らの書風を構築するのであるが、これは並行しながらでないと難しい。というのは、型に嵌(は)まりすぎると型から出ることができなくなる恐れがある。

 次に料紙である。この断簡は貝殻を潰して粉にした胡粉(ごふん)を膠(にかわ)で溶いて、二重蔓牡丹唐草文と二重丸獅子唐草文を刷毛(はけ)で引き染めにした料紙を用いている。唐紙はその名前から連想できるように中国から舶載した料紙であったが、舶載の唐紙が貴重であったため、次第に日本でも模倣して作るようになった。中国製の唐紙は竹の繊維で漉(す)いた紙を用いるが、これは和紙に装飾を加えた日本製の唐紙である。この華麗な唐紙を前に、定信といえども良い緊張があったであろう。その料紙と調和させながら、時代を反映した個性的な書を展開した定信の姿勢は高く評価してよい。

 本作品を表具する時に墨付きのない部分を補い、さらに別紙を継いで「同日未刻(午後2時)染筆/申時(午後4時)終功/定信」の書き付けがあり、2時間で書き終えたことを記録している。本文によく似ているが、筆の動きに切れ味がないことから、もとの奥書を模写したものと考えられる。しかし、定信の筆であることを類推する貴重な資料である。とはいえ、早書きの定信とても2時間では『和漢朗詠集』のすべてを書写することは不可能なので、抜粋して1巻の巻物に揮毫したものであったことが想定できる。

 この遺品は、『和漢朗詠集』の巻下に所収される帝王の冒頭からの漢詩句を書写した断簡である。

2023年3月19日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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