古筆(こひつ)を鑑賞する場合に、和歌を読もうとするのは当然のことであるが、その前に用いた料紙や墨量の変化、筆の流れやバランスを短時間でも眺めてほしい。同じ古筆切(こひつぎれ)でも自分の好きなバランスかそうでないか、あるいは調和がとれているかどうか、余白や行間や字間は適切かどうかなどを、判断してみよう。古筆はすべて素晴らしいとの認識で、自分なりに優劣を評価するのは烏滸( おこ )がましいと思うかもしれないが、自分の好みかどうかであれば問題ない。好きかそうでないかの判断を正直に下していくと、次第に鑑賞力も長足の進歩を遂げ、さらに深く楽しむことができる。
たとえば、この図版の和歌も、3、4行目「やまたかみひともすさめぬさくらは/ないたくなわひそわれみはやさむ」のものと、7、8行目「山さくらわかみにくれはゝるかすみ/みねにもをにもたちかくしつゝ」の和歌では墨付きの調子が違う。さらに、1行目と5行目の墨量が少なくなり、ゆっくりと筆を運んだ擦れた筆致があることから、平面の作品でありながら、林立する木々の遠近を見る思いがする。
また、美しく気品のある書であるが、筆の動きを追いかけていくと遅速の変化や筆力の有無まで見えてくる。また、4行目の末尾の「はやさむ」あたりは文字が詰まっているが、巧みなバランスで行末の処理をこなしている。また、6行目「山さくらとも」は行を湾曲させて行間をあまりとらずに5行目に寄せる。筆者の卓越した技量の一端が窺(うかが)える。大きな文字、小さな文字の使い分けや、一文字ずつ放ち書きや数文字にわたる長い連綿で上から下への流れを巧みに表現し、字間の使い分けで粗や密の変化を工夫しており、躍動感をも感じる。
また、この「関戸本古今和歌集切」は優美で清楚(せいそ)な料紙が特徴である。もとは紫・藍・茶・縹(はなだ)など、それぞれ濃淡の染紙と鳥の子の素紙を交用して『古今和歌集』を書写した冊子本であった。この断簡は薄縹の染紙であるが、いかにも宮廷貴族が好んだ色相である。『古今和歌集』巻第1春歌上に所収される一葉である。
この筆者は、関戸家に所蔵される零本(一部が分割された本)の末尾に、江戸時代の公卿(くぎょう)で歌人・能書として著名な中院通村が鑑識の語を加えていることから、藤原行成(972~1027年)筆と伝えられるが、確証があるものではない。しかし、今日の研究で「屛風(びょうぶ)詩歌断簡」(MOA美術館蔵。古筆手鑑(てかがみ)「翰墨(かんぼく)城」所収)が行成自筆と考えられており、その仮名の墨色や筆致と近似している。さらに、筆致の流麗さが際立っており、おそらく行成の活躍した時代からやや下がったころと考えてよかろう。仮名の完成期の書である「高野切」に少し先行する書と推定できる。巻子本の「高野切」と異なり、1㌻ごとに表現の違いを展開できる冊子本の魅力を遺憾なく発揮したものである。平成27(2015)年度に、高木聖鶴氏より九州国立博物館に寄贈された。
2023年2月19日 毎日新聞・東京朝刊 掲載