【書の楽しみ】
王羲之が極めた造形美

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長、九州国立博物館長)

 書は全体の調和が何より大切である。次に造形と線質が重要である。どちらを優先するのかは意見の分かれるところで、しっかりした線が書けないと書ではないという意見もあろう。また、勢いだけで形の整っていないものは評価するに値しないと思っている方もある。もちろん、両方兼ね備えているのが良いのであるが、今回は王羲之の「妹至帖(まいしじょう)」を取り上げ、造形の魅力に焦点を当てる。これは、文字の輪郭を薄い紙に引き写して、その中に墨を塗抹して肉筆に見えるように作成する双鉤塡墨(そうこうてんぼく)の技法を用いたもので、羲之の造形の美しさを正確に再現したものである。

妹至帖 王羲之筆1幅紙本墨書本紙:25.3センチ×5.3センチ(部分)九州国立博物館蔵(搨摸)中国・唐時代・7~8世紀(原本)中国・東晋時代・4世紀 出典:ColBase

 原本の筆者は、中国・東晋の王羲之(303~361年、異説あり)で、書の歴史において「書聖」として尊崇されている世界で最も著名な能書である。草書・行書・楷書が過渡的な書体から徐々に整備されつつある時期に活躍し、ことに行草が素晴らしい。唐の太宗は羲之の書を尊重し、伝世する彼の作品を徹底的に手許(てもと)に集めて鑑賞した。「蘭亭序」が太宗の墓に一緒に埋葬されるなど、その真跡の伝存は確認されていないが、我々は太宗が作らせた羲之の書の精巧な模本、あるいは臨書本や拓本によって羲之書法を知ることができる。

 『扶桑略記』の天平勝宝6(754)年正月16日条には、布教のために日本に渡来した鑑真が大宰府に到着し、「王右軍」(王羲之)の真跡を将来したことを記録している。また、天平勝宝8(756)年の「東大寺献物帳」には、聖武天皇の七七日の法会に際して「搨晋右将軍王羲之草書巻」ほかが東大寺に献納されたことが記されている。真跡というが、この時もたらされたのは唐時代の精巧な模本で、「喪乱帖」や「妹至帖」などが散逸してしまった断簡の一部と考えられている。「妹至帖」には「妹至羸情。地難遣。憂/之可言。須旦夕営親之」と墨書されている。「妹、羸(るい)情に至り」とあり、弱々しく病弱な妹を心配した王羲之が、「旦夕」(朝夕)よく看病すべし、と書いた手紙の2行分である。何度も何度も繊細に筆を運んで、虫食い、滲(にじ)みやかすれまで再現し、肉筆と寸分違(たが)えず作成したもので、いわゆる双鉤塡墨という技法だけで片付けることはできない。個々の美しい文字の造形に加えて、文字と文字の気脈や筆の勢いまでが再現されている。ここまでして、王羲之が作り出した造形美を伝えようとした熱意と技術力に驚嘆する。唐代の素晴らしい業績といえよう。確認される遺例は世界でも10例程度で、極めて貴重である。

 一方において、最後に臨書の効用も述べておかなければならない。これは造形美・用筆法などを学ぶことができるとともに、作品としての瑞々(みずみず)しさがある。中国での「蘭亭序」の臨書本、日本における「秋萩帖」の16紙目の途中から巻末までの王羲之の尺牘(せきとく)(書状)11通の臨書なども、その魅力を伝えている。

2022年8月22日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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