虎林字号 徹翁義亨筆 紙本墨書 1幅 39.3センチ×101.0センチ 東京国立博物館蔵 出典:Colbase

【書の楽しみ】 筆力と行間の余白のバランス

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長・九州国立博物館長)

 間(ま)という言葉があるが、これは、もともと時間や空間の距離感をいう。これを使って、芝居などで「間がいい」と言われる場合がある。丁度(ちょうど)よいセリフのタイミングや主役との適切な距離感などで使われる。また、武道などでは自然体という言葉もあるが、こちらは臨機応変の対応ができることに繫(つな)がる。

 ところで、書画では余白という言葉がある。これは余った白と書くが、実は料紙に墨付きが無いだけではなく、余った空間ではないのである。芝居での役者の演技による響き合いの間の良さ、武道における呼吸法による自然体の対処と同様に、文字と文字、行と行が自然に響き合う位置に配置されるのが余白である。

 この作品をご覧いただきたい。たっぷりと墨を筆に含ませ「虎」と「林」を書き進めており、気宇壮大な感じを受ける。「虎」の収筆などは筆が割れたまま引き抜くほか、「林」の偏から旁(つくり)への連続する筆線や太い右払いなどからも、一見すると闊達(かったつ)な筆致に見える。しかし、全体の筆致を確認すれば、比較的ゆっくりとした運筆である。柔らかい筆の弾力を巧みに用いたゆとりのある筆致は、筆者の並々ならぬ技量とともに、漲(みなぎ)るエネルギーと大きな人間性までを感じとることが出来よう。

 「虎」と「林」が作る広い空間や左右の墨付きとの空間が余白にあたる。見ていただけるように、均等に空間を割ったものではない。臨機応変に筆を運んだ結果で、筆者が卓越した空間感覚の持ち主であることが分かる。そして、この空間は余白ではなく必要な空間なのである。すなわち“要白”と呼ぶべきものである。この言葉は、すでに昭和に活躍した仮名書家の深山龍洞により提唱されている。ところで、筆力が無い人がこの空間に文字を配置したら、作品として持たない。つまり、筆力に応じた適切な空間が大切なのである。

 筆者の徹翁義亨(1295~1369)は出雲の出身で、幼くして上京し、来朝していた鏡堂覚円のもとで出家した。その後に、雲居寺の宗峰妙超(大燈国師・1282~1337)のもとで修業を積み、印可を受けて法統を継ぐことを認められた。師の没後、大徳寺第二世の住持となり、弟子の育成に努めた。この一幅は、弟子に書き与えた字号(じごう)で、大書した「虎林」の字号の右に徹翁義亨と自らの署名を加え、そして左に弟子の宗賛維那の為(ため)に揮毫(きごう)したことを記したものである。すでに述べたように、この署名と為書きの文字の配置が絶妙である。署名は真っ直(す)ぐに行が貫通し、為書きは字号から見て弧を描いている。これは、大字とのバランスを考えたものである。二つの大字における文字の響き合い、加えて、全体の調和を考慮した左右の行は、禅の修業の果てに辿(たど)りついた境地が表現されたものといえるのではなかろうか。この一幅は、「遠州蔵帳」に所載の品で小堀遠州の愛玩の墨跡である。

2022年3月20日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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