薄い緑、萌黄(もえぎ)、薄茶などに染められた絹地に、金銀泥を用いて蝶(ちょう)や鳥に加えて草花などを繊細に描き、中国の唐時代の詩人である白楽天の詩文集『白氏文集』の巻第3の巻頭近くに所収される「七徳舞」を書写したものである。その上に和様の書で「七徳舞 美撥乱陳王業/七徳舞七徳歌伝自/武徳至元和、々々小臣/白居易観舞聴歌/知楽意、楽終稽首陳/其事、太宗十八挙義/兵、白旄黄鉞定両/京擒充戮竇四海清……」と行書と草書を交えながら書き上げている。もとは、巻子本であったと思われるが、絵絹を3分割して、現在は帖(じょう)に仕立てている。
これを納める箱には「七徳舞 堀川左大臣俊房書」と近衞家煕(1667~1736年)の墨書があり、能書で知られる源俊房(1035~1121年)の筆と極めている。家煕は、自らが管見した作品などから筆者を俊房と判断して箱書きしたものであろう。ただ、今日まで源俊房の自筆の日記「水左記」が伝存しており、これと比較すると同筆ではない。
しかしながら、その書風からみて俊房が活躍したころの書写と考えられる。図版でご覧いただけるように、絵絹の損傷が見られる。紙より布の方が強いと思われるが、布は温湿度の変化には弱く、平安時代の絹地切や綾地切は伝存自体が珍しく、とても貴重である。家煕が、その伝存を尊重して、巻物から帖仕立てに改装したことによって、今日まで、その姿を伝えている。
さて、その書であるが最初の題である「七徳舞」と丹念に筆を運び、割書きで小さく「美撥乱陳王業」と筆を続ける。続く本文の書き出しが同じ「七徳舞」なので、その文字の崩し方や行の傾きに工夫が見られる。「徳」や「舞」の崩しの違いだけではなく、「七」の起筆の変化など、能書の腕の見せどころと言えよう。絵絹を前にした能書が、頻出する「七」、「徳」、「舞」などの同じ字が現れる場所において、その字形や傾き、大きさ、潤渇などをどう変化させるかを考えているさまを連想すると、筆者の美意識をのぞいているようで楽しくなる。筆者が華麗な絵絹を前にして、どう表現するかを推敲(すいこう)している緊張も伝わってくる。
出来上がりの素晴らしさを見るだけでなく、画数の少ない文字の表現を自分ならどうするか、いくらか筆勢を欠く部分が見られるのは絵絹に筆を取られたためであろうか、自分ならどこで墨継ぎをするかなど考えると鑑賞の幅はさらに広がるであろう。
我々が生活する身の回りにはさまざまな生き物がいるが、古代から絵画や工芸の分野で造形化されて我々の目を楽しませている。この作品は、皇居三の丸尚蔵館の「いきもの賞玩」に、生き物を表現した工芸品や絵画とともに7月9日から9月1日まで展示される。会期中、この帖のほかの部分と展示替えする予定である。和様といえども、優美だけではなく線の太さや細さ、力強さによるメリハリが必要である。古典を学ぶことは、自作にも繫(つな)がるので熟覧をお勧めする。
2024年6月16日 毎日新聞・東京朝刊 掲載