【書の楽しみ】
華麗な唐紙と能書の調和

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長、皇居三の丸尚蔵館長)

 『源氏物語』の「鈴虫」に、「唐(から)のかみはもろくて、朝ゆふの御手ならしにも、いかゞとて、……」というくだりがある。この「唐のかみ」というのは、唐(とう)時代に作られた紙ということではなく、中国で作られた紙という意味である。これは繊維の短い竹を細かく砕いて漉(す)きあげられたもので、竹の産地であった蜀の地方で作られたと考えられる。日本製の紙が楮(こうぞ)などの樹皮の長い繊維から作られたものであったのと異なり、唐紙が脆弱(ぜいじゃく)だったことを指摘している。これに強度と円滑さを加えるために表面に貝殻を潰して粉にした胡粉(ごふん)を薄茶・白・黄・赤・藍などさまざまに着色し膠(にかわ)の溶液でのばして引き染めにして補強する。

 この「粘葉(でっちょう)本和漢朗詠集」に使われている料紙は、さらに飛鶴宝相華・亀甲・牡丹(ぼたん)・花菱(はなびし)・鳳凰(ほうおう)・雲鶴、そして種々の唐草(からくさ)文様を雲母(きら)(花崗(かこう)岩の中にある鉱物)で摺(す)りだした舶載の美しい唐紙を用いている。これには通常の白い雲母の場合と黄雲母との2色があり、華麗極まりない料紙である。これらは、北宋から渡来したものとして宮廷貴族に珍重された。その料紙を二つ折りして、その折り目近くを糊代(のりしろ)にして貼りあわせた粘葉装の冊子本であることから、この名前で呼ばれる。上下2帖(じょう)の小さな冊子本に、藤原公任が撰述(せんじゅつ)した『和漢朗詠集』を書写したものである。

粘葉本和漢朗詠集 伝藤原行成筆 2帖のうち 彩箋墨書 20.0㌢×12.0㌢ 平安時代 11世紀 文化庁蔵(皇居三の丸尚蔵館収蔵)

 筆者を藤原行成と伝えるが確証はなく、料紙装飾とその書風から11世紀半ばの書写と推定される。「高野切本古今和歌集」第三種(前田育徳会蔵ほか)、「近衛本和漢朗詠集」(陽明文庫蔵)ほか一群の同筆遺品を残しており、筆者は当代屈指の能書であった。当代屈指の能書であっても、この華麗な粘葉装の料紙を前にして、最初は緊張したことがうかがえ、慎重に端正な楷書で筆を運んでいる。やがて、筆が馴染(なじ)むにしたがって優美で流麗な行書に草書を交えながら、華麗な料紙と調和しながら巧みな和歌や漢詩を書き連ねている。言葉が織り成す文学を鑑賞するとともに、文字が織り成す筆線の美と料紙の美に心を奪われた宮廷貴族の姿を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 皇居三の丸尚蔵館は、書跡の優品を多数収蔵している。ことに『和漢朗詠集』の名品が多く、先月紹介した「雲紙本和漢朗詠集」、伝藤原公任筆「巻子本和漢朗詠集」があり、この「粘葉本」と合わせて3本の完本がある。その中でも古筆屈指の名品として名高いのが、この「粘葉本」で明治11(1878)年に近衛忠熙より皇室に献上された。その後、昭和天皇の薨去(こうきょ)後に今上天皇(現在の上皇陛下)と香淳皇后より国に寄贈された。華麗な冊子であるが、長年の伝来のうちに料紙や装丁にも傷みが生じ、4年に及ぶ歳月をかけて修理が完了した。今回、皇居三の丸尚蔵館の開館記念の第4期「三の丸尚蔵館の名品」で、5月21日より6月23日まで展示する。図版のページは6月2日まで、4日からはページ替え。

2024年5月19日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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