粘葉本和漢朗詠集 伝藤原行成筆 2帖のうち 彩箋墨書 20.0センチ×12.1センチ 平安時代 11世紀 宮内庁三の丸尚蔵館蔵

【書の楽しみ】料紙との調和、和漢の融合

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長・九州国立博物館長)

 『和漢朗詠集』を上下2帖(じょう)の小さな冊子本に書写したものである。今から約1000年前、藤原公任(966~1041)が娘の結婚に際して、婿への引き出物として朗詠するのに適した漢詩文の秀句と和歌を編集したのが、『和漢朗詠集』である。この私撰(しせん)集は、『古今和歌集』に次ぐ人気を集め、王朝貴族に愛唱された。やがて、華麗な調度手本が作られるようになったが、その一つがこの“粘葉(でっちょう)本”である。料紙を二つ折りして、その折り目近くを糊代(のりしろ)にして貼りあわせた粘葉装の冊子本であることから、この名前でよばれる。

 ここでは、その料紙と書の調和に注目してほしい。薄茶・白・黄・赤・藍などの具引き(貝殻を潰して粉にした胡粉(ごふん)を膠(にかわ)の溶液でのばして引き染めにすること)をほどこした上に、瑞果(ずいか)花唐草文、蒲公英(たんぽぽ)唐草文、飛鶴宝相唐草文、石榴(ざくろ)唐草文、亀甲繫(つな)ぎ文、花菱(はなびし)花唐草文などの文様を雲母(きら)で摺(す)りだした舶載の美しい唐紙を用いている。『源氏物語』(「鈴虫」)に、「唐(から)のかみはもろくて、朝ゆふの御手ならしにも、いかゞとて、……」というくだりがある。この「唐のかみ」というのは、唐時代に作られた紙ということではなく、中国製の紙という意味である。この紙は竹を細かく砕いて用いて漉(す)き上げられたものである。竹の産地であった蜀の地方で作られたと考えられるが、これは王朝貴族の優美で繊細、いわゆる雅(みやび)な美意識に叶(かな)うものであった。

 図版は下巻の雑の「草」の部の和歌「きみがきまさむみまくさにせむ/おほあらきのもりのしたくさおいぬ/れば こまもすさめずかるひともなし/やかずともくさはもえなむかすが/のを たゝはるのひにまかせたらなむ忠岑」2首半と次の「鶴」の部の題を書き付けたページである。料紙は、薄茶の地色に瑞果花唐草文を摺りだし、その上に洗練された張りのある筆線を駆使しながら、明るく流動美に溢(あふ)れた書風を展開する。羅の布目打ちを施している。布目打ちというのは、紙を漉いて乾ききる前に布と一緒に鹿革に挟みこんで打つと、あたかも布であるかのように料紙が仕上がる。

 粘葉本の中でも、華麗な料紙文様が鮮やかで見応えのある場所の一つである。こうした美しい料紙に、この筆者は優美で流麗な仮名を書き進めている。最後の行に、一文字ながら「鶴」の部立てを示す柔和な和様の漢字を書き添えている。その造形が美しく、このページを引き締めている。余白の巧みさは、文字と文字の響きを呼応させており、美麗な料紙との絶妙な調和を見せている。かつ、和歌と漢詩の融合でもあり、中国製の紙と和様の書の融合でもある。筆者を藤原行成と伝えるが確証はなく、料紙装飾とその書風から11世紀半ばの書写と推定される。「高野切本古今和歌集」第三種(前田育徳会ほか蔵)、「近衛本和漢朗詠集」(陽明文庫蔵)ほか一群の同筆遺品を残しており、当代屈指の能書であった。

2021年12月19日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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