和様(わよう)の書とは、日本風の書風で書かれた書跡のことを指す言葉である。いわゆる日本スタイルの書といってよい。中国風の書のことを、中国を代表する「唐」を用いて唐様(からよう)と呼んで、対比している。誤解を招かないように言っておくと、どちらも日本人が書いた書を指している。
両者の理解のために、その特徴を比べてみると、中国の書は、一般的に文字の構築性があり、重厚さ、論理性、強さなどを重視する。一方、和様の書はまず抒情(じょじょう)性があることが大切な要素で、軽妙で洒脱(しゃだつ)、直感的に表現することを好んでいる。中国の書の力強さに対して、和様の書は弱いと判断される時がある。これは、一方において柔軟であることにも通じる。
何事においても長所が短所にもなり、逆に短所が長所にもなりうるのであって、最終的には好みの問題になってしまうが、和様の書はまぎれもなく日本人が自らの好みや美意識に最もよく合致するように工夫され、完成された書なのである。
今回は、江戸時代における和様の能書として知られる近衞家熙(いえひろ)(1667~1736)と、唐様の能書の市河寛斎(1749~1820)の書を対比させながら鑑賞してみよう。
近衞家熙は元禄時代に活躍した公卿(くぎょう)で、近衞家第21代の当主である。近世初期の歴代が和様の能書であったため、家熙が伝統的な書を学ぶのは自然な成り行きであった。近衞家に伝わった平安時代の名筆を手本に、目習いや手習いすることによって書を学んだために近世和様の代表と考えられている。ただ、彼が漢籍にも関心が深く、上代様の書風の漢字と仮名を交用する作品、楷書、行書、草書、さらには篆(てん)書まで、実に幅広く多様な書の表現を展開している。
一方の市河寛斎は、江戸時代後期の儒者・詩人。昌平黌(こう)の学員長を務めるほか富山藩の藩校の教授ともなった。儒学者であり、当代屈指の漢詩人として活躍しており、唐様の能書として知られる。両者とも切れ味するどい格調の高い書である。
和様の分かりやすい特徴を鎌倉時代の能書として知られる尊円親王は、書論書『入木抄』で「筆は次第にたふれたるやうになるなり」と和様の書は運筆する際に、筆が傾くのが特徴であると指摘している。つまり、唐様の書は筆が立っていることが特徴といえよう。図版の両者を比べていただくと、その違いが明らかである。家熙の書は迫力とともに和様の書の優美さがあり、寛斎の書には筆圧の強さとともに洗練された造形美がある。ともに、余白の扱いと全体の調和が見事で、江戸時代を代表する書といえよう。和様であれ、唐様であれ、両者の書の魅力を、運筆を辿(たど)りながら、ゆっくりと鑑賞してほしい。
2021年11月21日 毎日新聞・東京朝刊 掲載