ローマ考古学研究の第一人者で、元文化庁長官、多摩美術大学理事長の青柳正規(あおやぎまさのり)さん(78)が、東京・上野公園の東京都美術館で開かれている「永遠の都ローマ展」を訪れた。ローマにあるカピトリーノ美術館の名品などからローマの歴史と芸術を紹介する展覧会。1969年にローマ大学に留学し、何度も足を運んだという青柳さんは「その思想が都市をつくってきた」と語る。
◇まちおこしが生んだ、裸の女神
――どのような視点で展示を見ましたか。
世界中から「永遠の都」と言われるように、歴史的に考えると、ローマは世界でもっとも有名な都市です。展示を通して古代から近世までたどることができるという意味で、なぜローマがそれほどに特別扱いされるのかということがよくわかる展覧会でした。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大を経て、地域や都市の持続可能性について考えるようになりました。「ローマは世界を3度征服した」と言われます。1度目はローマ帝国として、2度目はローマ教会として、3度目はローマ法が近代国家の法律の基盤になったことで。ローマ市民権が得られれば、法の前ではすべて平等であるという考えが継承されていくわけです。このような継続性が都市の繁栄にもつながっている。思想が、ハードとしての都市に反映しながら継続性を維持したのです。
――展覧会では、ハドリアヌス帝やトラヤヌス帝ら皇帝の胸像が展示されています。鑑賞中、パクス・ロマーナ(ローマの平和)の礎を築いたとされる、初代皇帝アウグストゥスの肖像の前で立ち止まっていらっしゃいました。頭には葉で編んだ冠をかぶっていますが、この冠を市民から贈られたアウグストゥスは非常に喜んでいたと話されていましたね。
ローマの外で神格化されていたアウグストゥスでも、権力を支えるのは市民の人気であるとよく分かっていた。この冠はコロナキウィカ(市民冠)と言いますが、多くの称号を贈られたなかで、市民冠をもらったことが一番うれしかったというのもよく分かります。絶対的な権力を持つローマ皇帝も、市民の人気が欠かせないという意味で、非常に近代的だったと言えます。
――このようなローマの哲学が展示物を通して伝わってきます。
ローマとギリシャの違いをご存じですか? ギリシャは天才を多数輩出しました。にもかかわらず、市民の生活は向上しませんでした。一方、ローマは、天才は出ませんでしたが、ローマ帝国が出現すると、5000万人強の人たちは飢えることなく生活できるようになった。紀元1、2世紀のローマ市民の生活水準を凌駕(りょうが)したのは、18世紀後半に始まった産業革命になってやっとです。アウグストゥス自身は抑制された生活を送り、一方で、富をローマ浴場のような施設に回して、剣闘士試合にみられる娯楽も提供していました。古代としては他に例を見ない充実した文化政策や福祉厚生政策が行われていたというわけです。
――今回の展覧会では、古代彫刻の傑作と言われる「カピトリーノのヴィーナス」が初めて来日しました。イタリアの外に出るのは、ナポレオンによるパリ移送を含め3度目の貴重な機会です。
このヴィーナス(アフロディテ)は紀元前4世紀に活躍した天才彫刻家、プラクシテレスの女神像に基づいています。何がすごいかというと、プラクシテレスが初めてヴィーナスを裸にしたんですね。ギリシャ彫刻で男性は裸体でしたが、女性は着衣でした。なぜ裸にしたのか。今でいう地域おこしです。プラクシテレスはアフロディテ神殿がある古代ギリシャの都市、クニドスから注文を受けて制作し、本展のように円堂の中央に置きました。加えて「ヴィーナスが『どうしてプラクシテレスは私の裸を見たのかしら』と言った」といううわさを流すのです。その結果、一目見たいと人々が押し寄せ、まちがうるおった。現代のようですね。プラクシテレスが完成させた裸体女性像の典型は、地中海域に流布しました。ぜひ斜め後ろから見てください。成熟した女性のたくましさが伝わるはずです。
「マイナスを表わす浮彫の断片」にも注目したいです。大胆で奔放なマイナスという存在をこの浮き彫りは実によく表現しています。ヒマティオンという大きな布を身にまとっていますが、絹織物の薄さを感じさせると同時に、体の曲線が布を通して表れています。事実、ネロの家庭教師セネカは「最近の女性たちは絹を着て、体を透き通らせている」と怒って書いています。絹織物が中国から入ってきて、同時代の女性に人気があったということも連想させますね。
――では、青柳さんにとってのローマ体験を教えてください。
初めて留学で訪れたのは69年でした。初めて見たローマは、文化・歴史的なものがぎっしりと詰まっていて、とてつもなく濃密な空間でした。このようなものを本当に理解できるのか、と思ったほどです。カピトリーノ美術館にもよく訪れました。今のようにツーリズムが盛んでなかったので、好きなだけ見ることができました。ピラネージの版画「カンピドリオとサンタ・マリア・イン・アラチェリ聖堂の眺め」が展示されていますが、カンピドリオ広場に続く階段は、一段一段が非常に大きくてね。馬で駆け上がるために、このような造りにしたそうです。テラスからはフォロ・ロマーノが見えますが、この古代ローマの遺跡を見下ろして、今後の研究のことを考えたものです。
――改めてローマという都市はどのような存在でしょうか。
近年コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などが起こり、世界情勢が大きく変わりましたよね。以前は「協調と融和」だったのが、今は「断絶と対立」の世界になりつつある。だけど、ローマという長い歴史を見ると、さまざまな起伏があったことが分かります。今の状況はその起伏の一つであり、これからいいこともあるし、悪いこともある。このように少し距離をおいて思考することを、ローマは可能にしてくれるんじゃないかな。そういう意味で、今でもなお、これからもなお「永遠の都ローマ」と言えるのではないでしょうか。
◇関連番組
▽NHKEテレ=15日(日)午前9時45分「日曜美術館(アートシーン)」
▽NHKBSプレミアム・BS4K=28日(土)午後6時「光と影、永遠の都ローマの物語」。唯一無二の都、ローマを紹介する「永遠の都ローマ展」。門外不出の至宝「カピトリーノのヴィーナス」や、「コンスタンティヌス帝の巨像」などから、永遠の都の魅力に迫る。
◇図録販売中
会場のほか、通販サイト「まいにち書房」(https://www .mainichi.store/)でも公式図録を販売中。出品作品全ての解説とカラー図版を掲載。A4変型判。1冊3000円(税込み)。送料別。
INFORMATION
永遠の都ローマ展
<会期>12月10日(日)まで。月曜休室。開室時間は午前9時半~午後5時半、金曜日は午後8時まで(入室は閉室の30分前まで)
<会場>東京都美術館 企画展示室(JR・地下鉄上野駅下車)
<観覧料>一般2200円、大学・専門学校生1300円、65歳以上1500円。高校生以下無料。土日・祝日のみ日時指定予約制(当日空きがあれば入場可)。
<平日限定ペア券>4000円(一般のみ)。会期中の平日限定で使えるお得なペア券を10月16日(月)まで数量限定で販売中。展覧会公式サイト(https://roma2023-24.jp/)から購入できます。
<お問い合わせ>050・5541・8600(ハローダイヤル)
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、毎日新聞社、NHK、NHKプロモーション
共催 ローマ市、ローマ市文化政策局、ローマ市文化財監督局
協賛 JR東日本、大和ハウス工業、DNP大日本印刷
協力 ITAエアウェイズ、日本貨物航空
2023年10月13日 毎日新聞・東京朝刊 掲載