二ケ領用水を(奥から時計回りに)川崎堀、根方堀、久地堀、六ケ村堀に分配する久地円筒分水

 二ケ領にかりょう用水(川崎市)は徳川家康の治水、新田開発の命で14年の年月をかけて1611年に整備された。名前は川崎領と稲毛領にまたがって流れていたことに由来する。多摩川の2カ所から取水され、合流した後、四つの堀に分かれ田畑へ水を届けた。

流れ落ちずに止まった桜の花びらが彩る円筒の壁面

 二ケ領用水久地くじ円筒分水(同市高津区)ができる前は「久地分量」があった。上流からの水を樋(水門)で分け、灌漑かんがい面積に応じた幅で分水量を決めていたが、川は中央部ほど流量が多く、公平な分配を求める水争いが絶えなかった。

 現在の分水を担う久地円筒分水は、多摩川右岸農業水利改良事務所長の平賀栄治が設計し、1941年に完成した。地下をくぐらせた水をサイホンの原理で円筒に湧き上がらせ、灌漑面積に合わせた比率で区切った外周の堀に落とした。全国に広がる円筒分水の初期のもので、98年に国の登録有形文化財に指定された。

 現在は農業用水としての役割はほぼ終えた。用水路沿いには桜並木や遊歩道が整備された区間があり、憩いの場になっている。

市民に親しまれる二ケ領用水上流部の宿河原堀

2022年4月24日 毎日新聞・日曜くらぶ 掲載

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