東洋一と言われた神子畑選鉱場跡。円すい状のシックナーで水と鉱石の泥に沈降分離され、水は再利用された

 兵庫県北部の山あいを車で走っていると、神殿のような建造物が突如目の前に現れた。国内有数の産業遺構の神子畑(みこばた)選鉱場跡(朝来(あさご)市)だ。

 銀を産出する鉱山があり栄えていたが、鉱脈の減少で1917(大正6)年に閉山した。一方、近隣の明延(あけのべ)鉱山では採掘鉱量が増えたため、19(大正8)年に粉砕した鉱石を選別する施設が建設された。昭和に入ると選鉱場の規模を拡大し、最盛期には「東洋一」と言われた。

 山の斜面を利用した選鉱場は、幅110㍍、高低差75㍍、階段状の22階層で、有用な鉱物を仕分けたり、複数の種類の鉱物を分離したりする作業が行われた。24時間稼働し「不夜城」と呼ばれた。比重選鉱技術は海外の視察団が訪れるほど評価されていたが、87(昭和62)年に明延鉱山が閉山し、役目を終えた。

選鉱場の上下を結ぶインクライン跡

 現在はコンクリートの基礎部分や、水と泥の分離装置「シックナー」、選鉱場の上部と下部を結ぶインクライン(傾斜軌道)跡などが残っている。日本の近代化をけん引した遺産として往時の栄華を今に伝えている。

最盛期には24時間稼働で不夜城と呼ばれた階段状の建物は、基礎部分だけが残る

2021年10月17日 毎日新聞・日曜くらぶ 掲載

シェアする