鳥取城跡(鳥取市)の一角に優雅な姿を見せる白亜の洋館がある。フレンチルネサンス様式を基調とした木造2階建て寄せ棟造り瓦ぶきの仁風閣(じんぷうかく)は、1907(明治40)年に皇太子嘉仁(よしひと)(後の大正天皇)の山陰旅行に際し、宿舎として鳥取池田家第14代当主・池田仲博侯爵が建てた。
迎賓館赤坂離宮などを手掛けた片山東熊(とうくま)による設計。皇太子に随行した海軍大将の東郷平八郎が命名した。建物正面には櫛形破風(くしがたはふ)(棟飾り)が施され、右側には八角尖塔(せんとう)(階段室)がアクセントとなっている。背面には開放的なベランダが設けられている。館内には、曲線が美しい支柱のない、らせん階段が当時のまま残る。
仁風閣は鳥取県で初めて電灯がともり、電話が使われた近代化の象徴でもある。鳥取地震(43年)や鳥取大火(52年)にも耐えた。老朽化による解体の危機を保存運動によって乗り越え、73年に国の重要文化財に指定された。2024年から大修理が行われるため、入館は12月下旬までとなっている。
2023年4月23日 毎日新聞・日曜くらぶ 掲載