マリー・ローランサン「シェシア帽を被った女」1938年、ヤマザキマザック美術館

【目は語る】2月アーティゾン美術館「マリー・ローランサン」展芸術家との華やかな交流

文:高階秀爾(たかしなしゅうじ=東大名誉教授、美術評論家)

西洋美術

 マリー・ローランサン(1883~1956年)の名前は、明るいパステルカラーのその容貌とともに、日本でもよく知られている。

 このたび、東京・京橋のアーティゾン美術館において「マリー・ローランサン―時代をうつす眼(め)」と題する展覧会が開催されている。

 ローランサンは、画家であると同時に詩人でもあり、小説家マルセル・ジュアンドーの思い出のなかに生き続ける子犬、子猫、ヤギなどをエッチングで挿画とした『小動物物語集』や、友人の詩人たちの詩にローランサンのエッチングを挿画に添えた『マリー・ローランサンの扇』などの詩画集も刊行している。14年にドイツ人男爵と結婚したためドイツ国籍となり、第一次世界大戦中はフランスを離れてスペインに亡命し、そこで日本の堀口大学と出会う。

 堀口大学は帰国後、シャルル・ボードレール、ポール・ヴェルレーヌ、ジャン・コクトー、レイモン・ラディゲなど、フランスの詩人66人の詩を翻訳収載した『月下の一群』を刊行したが、そのなかに、マリー・ローランサンの「鎮静剤」と題する詩が含まれている。

退屈な女より
もっと哀れなのは
かなしい女です。

かなしい女より
もっと哀れなのは
不幸な女です。

 ……という具合に、次々といっそう「哀れな女」を取り上げ、そのたびに「哀れさ」が深くなるという詩である。「哀れな」のはどういう女かということは、きわめてわかりやすい。「不幸な女」に続いて、「病気の女……/捨てられた女……/よるべない女……/追われた女……」と続く。そして最後の2連において、「哀れさ」以上にマリー・ローランサンの本音が顔を出す。

追われた女より
もっと哀れなのは
死んだ女です。

死んだ女より
もっと哀れなのは
忘れられた女です。

 この詩は、展覧会構成の第2章にかかわるものだが、会場には、キュビスム、人物画、静物画、舞台芸術などの他の章との関連で、ローランサンと親しかった芸術家たちの作品も集められている。特にキュビスムの章では、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、ジャン・メッツァンジェ、フアン・グリス、アルベール・グレーズなど、また、章の題名にはなっていないが、「ローランサンと日本」を含むセクションに、ケース・ヴァン・ドンゲン、ラウル・デュフィ、アメデオ・モディリアーニ、東郷青児、藤田嗣治などの作品が並ぶ。「忘れられた女」どころか、パリの美術界で大いにもてはやされたマリー・ローランサンの華やかな活躍ぶりをよく伝えてくれる展覧会と言ってよいであろう。

 マリー・ローランサン展は3月3日まで。

2024年2月8日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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