【目は語る】12月 「モネ 連作の情景」展 上野の森美術館ほか 「印象派」以前の見事な試み

文:高階秀爾(たかしなしゅうじ=東大名誉教授、美術評論家)

西洋美術

 印象派の画家モネは、日本で大変人気が高い。現在、モネ作品を最も多く所蔵するのは、本国のフランスを別にすれば、まず日本であろうとも言われている。

「昼食」 1868~69年 シュテーデル美術館©Städel Museum, Frankfurt am Main
「昼食」 1868~69年 シュテーデル美術館©Städel Museum, Frankfurt am Main


 実際、国立西洋美術館をはじめ日本各地の美術館、コレクションに多くモネ作品があり、モネの展覧会は常に多くの観客を招き寄せる。

 現在東京・上野公園内の上野の森美術館で開催されている「モネ 連作の情景」展もその一例で、国内所蔵品ばかりでなく、西欧諸国からも作品を集めて、見ごたえのある充実した内容となっている。

 「連作」というのは、例えば「積みわら」なら「積みわら」という主題を取り上げて、画面構成はほぼ一貫して変わらず、時間の変化にしたがって色彩の輝きや彩度が移り変わる様子を捉えようとしたもので、まさしく印象派としてのモネが追求した表現にほかならない。

 モネがこの「連作」という手段によって光の表現を画面に定着させようと努めるようになるのは、ほぼ1870年代後半の時期からで、モネはすでに40歳に近い。早くから画家を志していたモネは、サロン(官展)風の大作も含めて、さまざまな試みを繰り返していた。今回の展覧会で言えば、60年代末ごろの秀作「昼食」がその一例である。これは、窓から差し込む明るい光を受けて、母親と子供が食事をしている情景で、窓辺には洒落(しゃれ)た装いの客が立ち、奥の方に使用人がいるという複数人物による室内画である。画面右方には、まだ帰って来ていない父親の様子と、食卓に置かれた新聞が見える。

「ルーヴル河岸」 1867年頃 デン・ハーグ美術館©Kunstmuseum Den Haag − bequest Mr.and Mrs. G.L.F. Philips−van der Willigen, 1942
「ルーヴル河岸」 1867年頃 デン・ハーグ美術館©Kunstmuseum Den Haag – bequest Mr.and Mrs. G.L.F. Philips−van der Willigen, 1942

 また67年ごろに描かれた「ルーヴル河岸」では、画面を横に流れるセーヌ川をはさんで、奥の方にサン・ジャックの塔やパンテオンの聳(そび)え立つドームが見え、手前の岸には緑豊かな並木の間に河辺の広告塔や河縁に並ぶキオスクや古本屋が描かれている。そしてさらに手前、つまり前景には、河岸を往来する馬車や、正装した男女がゆったり歩く姿が描かれる。杖(つえ)をついたり日傘をかざしたりする人々の様子は、克明に描写され、後の第1回印象派展(74年)で観客を驚かせた「牛のよだれ」のような人物表現とは全く異なっている。

 この年、67年には、パリで第2回万国博覧会が開催され、パリはセーヌ県知事オスマンの指揮のもとで近代的都市に生まれ変わろうとしていた。モネは当時の美術総監に願い出て、ルーヴル宮殿2階正面部からやや見おろす形で変貌するパリの姿を見事に描き出した。印象派風の光や人物表現が生まれる以前の見事な出来栄えの近代都市パリの風景である。

 さらにモネは71年、パリ・コミューンの乱を避けて滞在していたロンドンから帰る以前にオランダのザーンダムを訪れてこの水辺の町に強く惹(ひ)かれ、多くの作品を残した。今回の展覧会に出品されている見事な「ザーン川の岸辺の家々」などがその一例である。

 つまりモネは、印象派の画風を試みる以前から、人物画や風景画において優れた作品を数多く残している。それでは、「連作」が新たに切り開いた世界は、どのようなものだったのだろうか。(次回に続く。本展は、東京会場が2024年1月28日まで。大阪会場・大阪中之島美術館は2月10日から)

2023年12月14日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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