ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー「光と色彩(ゲーテの理論)―大洪水の翌朝―創世記を書くモーセ」 1843年出品 Photo:Tate

【目は語る】9月
東京・国立新美術館「テート美術館展 光」
「希望の挫折」歌ったターナー

文:高階秀爾(たかしな・しゅうじ=東大名誉教授、美術評論家)

近代美術

 イギリス・ロンドンにあるテート美術館は、もともと世界有数の美術館であるナショナル・ギャラリーの別館として開設されたが、コレクションの拡大によって、今ではテムズ川を挟んだ対岸の近現代美術館が生まれて人気を集めている。

 現在、東京・六本木の国立新美術館において、「テート美術館展 光 ―ターナー、印象派から現代へ」と題する充実した企画展が開催されている(10月2日まで。次いで26日より大阪中之島美術館へ巡回)。

 内容は1「精神的で崇高な光」、2「自然の光」以下、「室内の光」「光の効果」「色と光」「光の再構成」「広大な光」の全7章構成。それぞれの章に、代表的「光の作品」が割り当てられている。

 例えば「精神的で崇高な光」をテーマとした1ではジョゼフ・ライト・オブ・ダービーの月光に照らし出された想像上の「噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め」、「トスカーナの海岸の灯台と月光」から、ウィリアム・ブレイクの恐ろしくも幻想的な「善の天使と悪の天使」、「アダムを裁く神」、アニッシュ・カプーアの「イシーの光」を経て、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの華麗なまでに輝かしい「陽光の中に立つ天使」が配置される。しかし、大天使ミカエルが真実と正義を象徴する虹の光にかこまれて高々と剣をふり上げているのに対し、その明るい陽光の及ばない画面の下方では、左側でアダムとエヴァが殺されたアベルの遺骸に涙を流して嘆き悲しみ、右側では、首のないホロフェルネスの遺体を前にして切られた首を頭上にかざす侍女とユディトがじっと立つ。そこには、生涯をかけて「希望の挫折」を歌い続けたターナー自身の苦い思いが透けて見える。

ウィリアム・ブレイク「アダムを裁く神」 1795年 Photo:Tate

 ターナー作品には、これ以前に、同じように明るく輝く「湖に沈む夕日」と、刻々と変化する自然の様相をいわば生け捕りにしようと苦労を重ねて生み出された壮大な対作品「陰と闇―大洪水の夕べ」と「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝―創世記を書くモーセ」があり、今回の展示では2点そろって並べられている。ここに「ゲーテの理論」という題名が登場してくるのは偶然ではない。ゲーテは、1829年に刊行した『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代』のなかで、友人の天体観測所の頂上に案内されたウィルヘルム・マイステルが、「天球のあまりにも壮大なあり様は、われわれの理解力を超えてわれわれを押し潰すように思われた」と述べている。「光の世紀」を特徴づける自然美の称揚に代わって、ロマン主義の特質である漠然とした不安感が支配的となったのである。

 光の表現に関しては、この不安感に対抗するために、近年とみに評価の高いハマスホイの作品を紹介する安定した「室内の光」(3章)や、写真術の登場による「光の効果」(4章)、光によって色がどう見えるかを追求したヨーゼフ・アルバース、マーク・ロスコ、ゲルハルト・リヒター、ブリジット・ライリーなどによる「色と光」(5章)、電灯の発明と普及による新しい表現を試みたダン・フレイヴィン、ピーター・セッジリー、ブルース・ナウマンなどの「光の再構成」(6章)、そして人間は広大な宇宙のなかでは不安定な場所にいることに気づかせてくれるジェームズ・タレル、オラファー・エリアソンのインスタレーションが「広大な光」(7章)の世界を実現してみせる。まことに多彩多様な「光」の表現といってよい。

2023年9月14日毎日新聞・東京夕刊 掲載

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