重要文化財 菜蟲譜(部分) 伊藤若冲 一巻 1790(寛政2)年ごろ 佐野市立吉澤記念美術館(場面替えあり)

【目は語る】8月
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」展
太平の実り、豊かな文化

文:高階秀爾(たかしな・しゅうじ=東大名誉教授、美術評論家)

日本画

 「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」(後京極摂政前太政大臣)

 「百人一首」で我々にも馴染(なじ)み深いこの歌は、もともと『新古今集』に登場してくるもので、ここで言う「きりぎりす」とは現在の「こおろぎ」のことである。こおろぎの鳴く音だけが聞こえる寒い夜に、ひとりで寝ている淋(さみ)しさを詠んだ歌である。

 この感覚は現代においても失われてはいない。明治から大正期にかけて活躍したアララギ派の歌人、長塚節の『長塚節歌集』に「馬追虫(うまおひ)の髭(ひげ)のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想(おも)ひ見るべし」の一首が収められている。馬追虫(ウマオイ)はキリギリス科の昆虫で、通常では「スイッチョ」と呼ばれている虫である。「そよろに」はいわば擬態語で、目を閉じていてもその感覚が秋の気配を感じさせるというのである。

 現在東京・六本木のサントリー美術館で開催されている「虫めづる日本の人々」展(9月18日まで)は、図録の巻頭に田中優子法政大学名誉教授の「江戸の虫めづる文化」と題する論考を掲載している。「江戸の……」と題されているのは、展示品がもっぱら江戸期の作品であることにもよるが、それ以上に元和偃武(げんなえんぶ)以降250年にわたって太平の世が続いたことが大きい。

 田中論文は、戦乱の収まったこの時代に、『万葉集』以来の和歌の伝統が狂歌、俳諧などの多様な展開を見せ、一般庶民がこぞってそれに参加したこと、それに加えて中国から大量の漢籍、仏典などとともに中国でもてはやされた絵手本『芥子園(かいしえん)画伝』がもたらされて、江戸期の画人に大きな影響を与えたこと、さらに、主としてオランダから西欧の博物学の成果が輸入されたこと、の3点を指摘している。その結果として特に「虫めづる日本の文化」が世界で類を見ない豊かな発展を見せたのである。

 例えば、重要文化財にも指定されている伊藤若冲の「菜蟲譜(さいちゅうふ)」。全長10㍍を超える長大な画巻の後半部分に、葛(くず)の葉で遊ぶ約50種の虫たちが描き出されている。一方「白綸子(しろりんず)地梅に熨斗蝶(のしちょう)模様打掛」(23日から展示、サントリー美術館蔵)や「梅樹熨斗蝶模様振袖」(21日まで展示、女子美術大学美術館蔵)では、吉祥のシンボルでもある熨斗蝶が華麗に乱れ飛ぶ。活躍するのは、蝶やトンボのような昆虫ばかりではない。平安時代の『堤中納言物語』には毛虫や蝸牛(かたつむり)をかわいがる姫君が登場する。江戸の人々にとっては蛇も「長虫」と呼ばれて「虫」の仲間であり、蜘蛛(くも)は妖怪土蜘蛛に変身して舞台で派手に活躍する。

 その一方で、江戸時代も後期になると本草学の発展にも支えられて、きわめて「写実的な」虫たちが精細に再現されるようになる。伊勢国長島藩の藩主の増山雪斎の『虫豸帖(ちゅうちじょう)』(東京国立博物館蔵)は、なかでも特筆に値する優れた出来ばえを見せる。

画本虫撰(部分) 喜多川歌麿 2冊のうち下 1788(天明8)年 千葉市美術館(場面替えあり)

 他方、江戸出版界の重鎮、蔦屋(つたや)重三郎の肝いりで登場した喜多川歌麿の卓抜な画技と天明の狂歌人とを取り合わせた『画本虫撰(えほんむしえらみ)』は、日本だけでなく、フランスの愛好者に熱狂的に迎えられて、ジャポニスム流行の重要な源泉のひとつとなった。

 以上見てきたように、優れた内容と充実した解説による近年屈指の展覧会と言ってよいであろう。

2023年8月10日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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