フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス「バルタサール・カルロス王太子騎馬像(ベラスケスに基づく)」 1778年 エッチング、ドライポイント 国立西洋美術館
フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス「バルタサール・カルロス王太子騎馬像(ベラスケスに基づく)」 1778年 エッチング、ドライポイント 国立西洋美術館

【目は語る】
7月 国立西洋美術館「スペインのイメージ」展
版画が伝える魅惑の異境=高階秀爾

文:高階秀爾(たかしな・しゅうじ=大原美術館館長、美術評論家)

版画

 「ピレネー山脈を越えれば、そこはまったく別の世界だ」と語ったのは、フランスの文学者ミシェル・ド・モンテーニュである。名高い『随想録』の著者のみならず、その他のフランス、イタリア、ドイツなどヨーロッパの人々にとっては、スペインは長いことまったくの未知の異境であった。闘牛、フラメンコ舞踊、アルハンブラ宮殿、そしてベラスケスやゴヤ、ピカソなどの優れた美術作品によって今日の観光客に人気の高いスペインのイメージは、もっぱら19世紀のロマン主義の時代に形成されたものである。

 現在、東京・上野公園内の国立西洋美術館において開催されている「スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた」展は数多くの多彩な版画作品を通じてこの魅惑的な別世界の姿を伝えるきわめてユニークな企画展である。出品点数約240点(9月3日まで)。

 その内容構成はほぼ時代の流れに応じ、冒頭まず当時の人気小説、セルバンテスの『ドン・キホーテ』の挿絵および、それに霊験を得たドーミエなどの作品、そしてベラスケスの「バルタサール・カルロス王太子騎馬像」に基づくゴヤの版画作品や、同じくベラスケスの原画を版画化したゴヤの「イソップ」などによってスペイン美術の王者ベラスケスが紹介される。そのベラスケスに魅了されたフランスのエドゥアール・マネは、自らスペインに赴いて研究を重ね、リトグラフによる壮麗な「ベルト・モリゾの肖像」や「マクシミリアンの処刑」「バリケード」などの忘れがたい作品を残した。

 一方、文学趣味豊かなドラクロワはゴヤの版画集「ロス・カプリーチョス」に熱中してそれらを模写したりしたが、その成果を生かしてシェイクスピアの『マクベス』を主題として「魔女たちの言葉を聞くマクベス」やゲーテの『ファウスト』に霊感を得た「空を飛ぶメフィストフェレス」などの名作を残した。

ラモン・カザス 「アニス・デル・モノ」のポスター 1898年 カラー・リトグラフ 国立西洋美術館
ラモン・カザス 「アニス・デル・モノ」のポスター 1898年 カラー・リトグラフ 国立西洋美術館

 19世紀になって多彩なカラーリトグラフが登場し、華やかなポスターが人気を集めるようになると、商品宣伝のために大判のカラーポスターが数多く制作された。現在でも広く好まれるアニス酒宣伝のために、ラモン・カザスの原画デザインによる「アニス・デル・モノ」の大判ポスターが、その一例である。

 20世紀になると、特に1930年代のスペイン内戦の時代に、フランコ将軍の反乱軍に対抗する共和国政府支持の強い政治的メッセージをこめたポスターや版画が多数制作された。ジュアン・ミロの「スペインを救え」(展覧会不出品)や、フランコ将軍をユビュ王になぞらえた「ユビュ王」連作や、アントニ・タピエスの「カタルーニャ組曲」連作がその顕著な作例である。後の大作「ゲルニカ」につながるピカソの「フランコの夢と噓(うそ)Ⅰ」「フランコの夢と噓Ⅱ」、それに「泣く女Ⅰ」も見逃せない。「フランコの夢と噓」は9コマの絵をそれぞれ1枚の版画にまとめたもので、それの販売収入を共和国政府に寄贈するために制作されたものである。

 これらの歴史的背景も含めて、400年あまりの異世界スペインのイメージを豊かに、華やかに、あるいはおぞましくイメージ化したきわめて異色の企画展というべきであろう。

2023年7月13日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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