黒田清輝「湖畔」1897(明治30)年 東京国立博物館
黒田清輝「湖畔」1897(明治30)年 東京国立博物館

【目は語る】
5月 東京国立近代美術館 「重要文化財の秘密」展
評価の変遷浮き彫りに

文:高階秀爾(たかしな・しゅうじ=大原美術館館長、美術評論家)

 現在、国が指定する重要文化財作品は、1万872件にのぼる。その大部分は江戸以前のもので、明治期以降の近代作品は、わずか68件に過ぎない。

 1952年に開館した東京国立近代美術館は、70周年記念展として、近代の重文作品による「重要文化財の秘密」展を開催している。内容はジャンル別に、日本画、洋画、彫刻、工芸の4部構成で、さらに、展覧会出品以外の重文作品も「参考図版」として図録に収められている。この図録について特筆すべきは、それぞれの作品について、公開以来の評価の変遷を跡づけ、同時にそれが重文に指定された理由を明確に述べていることである。

 例えば、黒田清輝の「湖畔」(東京国立博物館蔵)。1897年に制作されて白馬会展に出品された時には、「遠景の樹(き)も山も誠によく出来て居て、全体が清々として涼しい心地がする」と風景描写が高く評価されたが、ほぼ1940年代以降の批評ではその「日本的特質」が強調されて、「日本油彩画樹立の意図が見られる」点が注目を集めた。それにもかかわらず、その評価は必ずしも広く一般的ではなく、「湖畔」が重文に指定されるのは、公開から100年以上も経た99年のことである。ついでに言えば、黒田の作品で最初に重文になったのは、68年指定の「舞妓(まいこ)」(東京国立博物館蔵)である。

 はなはだ興味深いことに「湖畔」のわずか2年後に描かれた黒田の「智・感・情」(東京国立博物館蔵)は、「湖畔」とほぼ同時期の2000年に重文指定を受けている。指定の理由として、「湖畔」が「日本油彩画の樹立」を強調しているのに対し、「智・感・情」の場合は、「西洋の正統的な絵画観」である「人体を主とした構想画もしくは理想画であった」ことが指摘された。つまり、重文指定の基準そのものが揺れているのである。このことは、重文指定を支える日本近代美術史が確立されていないことと無関係ではないであろう。

関根正二「信仰の悲しみ」1918(大正7)年 大原美術館
関根正二「信仰の悲しみ」1918(大正7)年 大原美術館

 もうひとつ例を挙げる。不気味な煌(きら)めきを宿した若い女性群像で忘れがたい衝迫を感じさせる関根正二の「信仰の悲しみ」(大原美術館蔵)。1918年制作、同年二科展に出品、樗牛(ちょぎゅう)賞を得た。しかし関根はその年の暮れに病に侵され、翌年20歳を過ぎたばかりの若さで世を去った。作品が重文に指定されたのは2003年のことで、その理由として「技法的には未熟な点もあるが、熱っぽく輝くような独特の色調や特異な造形による強烈な表現力」と「異常で幻想的な構成」によって「近代日本絵画中に類例のない、特異な生彩を放つ傑作」と評価された。

 改めて「湖畔」や「信仰の悲しみ」の重文指定理由を見てみると、作品評価を支える日本近代美術の歴史的位置づけがまだ行われていない点が浮かび上がってくる。今回の展覧会は、日本の近代をどう捉えるかという基本的な試みにほかならない。

 この困難なテーマに挑戦したのは、大谷省吾・東京国立近代美術館副館長以下、同館研究員の諸氏、いわば東近美の総力を挙げての研究事業である。図録にある作品細部の鮮明な複製図版も含めて、きわめて充実した展覧会と言ってよいであろう。14日まで。

2023年5月11日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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