優れた芸術はひとつの多面体であると喝破したのは、19世紀イギリスの批評家、ジョン・ラスキンである。芸術作品、さらに芸術家は、ただひとつの顔を持っているだけではなく、さまざまな面を備えているという意味である。
現在、東京・上野公園の国立西洋美術館で開催されている「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」は、ラスキンの名言を裏付ける格好の実例と言ってよいであろう。
扱われている作家は、ピカソ、マティス、クレー、ジャコメッティの4人、それに、ピカソに大きな影響を与えたセザンヌの水彩画とキュビスム時代の仲間ブラックの作品が加わる。
ピカソは、その長い生涯を通じて、奔放なまでに変貌する人間像を生み出した。まさに形態の魔術師と呼ぶにふさわしい。だが同時に、豊麗な色彩家としての資質にも欠けていないことを、「黄色のセーター」や「多色の帽子を被った女の頭部」などの作品が実証してくれている。
それと同時に、特に1930年代、スペイン内戦という当時の複雑な政治状況と、ピカソがこよなく愛好した国技闘牛と古代の物語世界とが重ね合わされて、数多くのミノタウロスの主題が描かれたことは、見逃せない。その集大成とも言うべき大判のエッチング作品「ミノタウロマキア」(35年)では、海からあがってきた獣面人身の怪物に人々が逃げまどうなかで、灯火と花束を手にしたひとりの少女が毅然(きぜん)として怪物と対峙(たいじ)している。この少女に、幼い頃世を去った妹コンチータ(コンセプション)のイメージを重ね合わせることは、必ずしも無理ではないであろう。もちろん、その一方で、この「ミノタウロマキア」が37年パリ万国博覧会スペイン館の「ゲルニカ」につながるものであることは言うまでもない。
一方、饒舌(じょうぜつ)なまでに多彩な色彩家であり、20世紀色彩革命フォーヴィスムの中心でもあったマティスは、「横たわる裸婦(ロレット)」や「家に住まう沈黙」に見られるように、卓越したデッサン家でもあった。後年マティスが切り紙絵に集中するようになるのは、切り紙絵が輪郭線、すなわちデッサンを拒否して、色とかたちを自在に表現する手法であったからと言えるであろう。
クレーとともに、芸術作品の「多面性」に新しい面が登場した。色とかたちの造形世界に、さらに言葉による「詩」の世界が加わったのである。作品は決して大きなものではない。むしろスケッチ帳程度の大きさだが、水彩、グワッシュを主体とするそれらの作品を、クレーはきちんと整理して、1点ごとにはっきりした画題を与えた。画題はいわばその造形詩の主題である。
24年にドイツ・イエナの美術館で行った講演のなかで、クレーは、芸術家は「使用人でも主人でもなく、純粋に仲介者である」と規定して、「作家は地の奥深くから湧き上がってくる果汁を受け止めてそれを伝えるだけ」であると述べている。この感想は、クレーの親しい友人であった詩人リルケの『オルフォイスへのソネット』に見事に呼応している。そのことは、作品「黄色い家の上に咲く天の花(選ばれた家)」にうかがうことができるであろう。その他、「夢の都市」や「モスクの入口」、あるいは「目覚める女性」や「子どもの遊び」などの女性像も含めて、見どころ満載の展覧会と言ってよいであろう(2023年1月22日まで、次いで2月4日より国立国際美術館へ巡回)。
2022年12月8日 毎日新聞・東京夕刊 掲載