李禹煥(リウファン)「現象と知覚B 改題 関係項」1968/2022年 作家蔵=山本倫子氏撮影

【目は語る】9月
国立新美術館「李禹煥」展
自然との応答 導く無限

文:高階秀爾(たかしな・しゅうじ)(大原美術館館長、美術評論家)

現代美術

 現在、東京都港区六本木の国立新美術館において、大がかりな「李禹煥(リウファン)」展が開かれている。初期の「風景」連作(1968年)から最新の「応答」「対話―ウォールペインティング」(2022年)まで、59点の作品(再制作を含む)が出品されている。だがそれは、作品制作を通じて作家の創造活動の軌跡をたどるといういわゆる回顧展ではない。初期作品と最新作を隔てる半世紀ほどのあいだに、作家の創造活動が大きく変わったからである。初期作品では、「風景」という題名がよく示すように、作家は自然と対峙(たいじ)してその姿を作品に取り込んだ。だが、最近作では、作家は自然の一部であり、周囲の自然と語り合いながら制作した。作品題名が「応答」であり、「対話」であるのがその証拠である。

李禹煥(リウファン)「応答」2022年 作家蔵

 透徹した思想家でもあった李禹煥は、この変化について、「近代では、制作はアーティストのロゴスを前面に出しそれを作ってみせることだったが、私は自分から出発して他者や外部と関係し、自己を越える表現を開いた」と述べている。この一文章は、思想家李禹煥の「表現の詩学」宣言に他ならない。李はその「詩学」を、『出会いを求めて 現代美術の始源』をはじめ、『余白の芸術』などのさまざまの文章で記述している。

 だが、展覧会の場合は、話はそれだけではすまない。観客は展示された作品について、内容や背景の説明を求めるからである。そのため、展覧会にあわせて図録を作成するというのが通例である。しかし、今回の「李禹煥」展では、図録の代わりに、フランス・日本の批評家、美術館学芸員らによる李の多面的な思索や制作活動を紹介、論述するとともに、そのなかに出品作品についての情報を組みこんだ論集『李禹煥』を刊行して展覧会会場で販売するという方式を採用した。そのなかには、先に引用した一文を含む李自身の論考「開かれる無限」もある。

 この論文において、李は「描くことは私のロゴスのオールマイティーではなく、描かぬ空白への呼びかけとなったのである。だから絵画は私を越えてより大きな世界として響き渡る。これは絵画が私の身体性と切り離せない外部との直接的な関係性の表現でもあるからだ。この直接の関係性が表現を無限へと導いた」と述べている。

 ここに登場する「直接の関係性」というキーワードが、文字通り李の「表現の詩学」の本質を解き明かす鍵である。

 私自身について言えば、86年、フランスの国立美術館主席管理官(当時)のジェルマン・ヴィアットと共同コミッショナーを務めたパリ、ポンピドーセンターでの「前衛芸術の日本 1910―1970」展において、「もの派」の始祖とされる関根伸夫やハイレッド・センターの高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之のパフォーマンスに続いて、「関係項」を含む李の作品3点を紹介した。今回の展覧会でも、この時の作品をいっそう洗練させた「関係項」作品が出品展示されているのは見逃せない。

 卓越した表現者李禹煥の活動をよく伝える充実した内容の催しと言うべきであろう。(11月7日まで、次いで兵庫県立美術館に巡回)

2022年9月8日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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