展覧会の効用のひとつに、複数の作品を比較、考察することによって作家(芸術家)の本質を明らかにしてくれる点を挙げることができる。
例えば、回顧展なら、ひとりの画家が年齢とともに技術的にも表現内容においても次第に進化し、豊かになっていく過程を辿(たど)ることができるし、テーマ展ならば、さまざまの画家が同一の主題に対して、それぞれ独自の視点で対処し、作品にまとめ上げていくやり方を浮かび上がらせてくれる。決め手は、いずれの場合も、複数作品の比較である。それによって、一点だけ眺めていた時には気づきにくかった作品や、作家の本質が明瞭になる。まさしく、展覧会の効用と言うべきであろう。
現在、東京・上野の国立西洋美術館で開催されている「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」展は、さまざまの「ダイアローグ」、すなわち比較・対比を活用して、風景表現の本質に迫る企画展であると同時に、実際の制作にあたって、作家が具体的に、どのようなやり方で作画活動を展開したかを重ね合わせて、社会における作家の位置づけをたどるという文化社会学の試みでもあるという点で注目に値する。
展覧会の構成は、独エッセン市のフォルクヴァング美術館の所蔵品と国立西洋美術館所蔵品から選ばれたドイツ・ロマン派、印象派、ポスト印象派からキュービスム、シュールレアリスム、抽象表現にいたる100点ほどの作品(油彩画、版画、素描、写真など)を、Ⅰ「空を流れる時間」、Ⅱ「『彼方』への旅」、Ⅲ「光の建築」、Ⅳ「天と地のあいだ、循環する時間」の四つのセクションに配分するという方式によっている。各セクションの題名は、そこで扱われる作品の主題を示すもので、そこには、作家と作品、人と自然とのダイアローグ(対話)がある。
しかし、対話はそれだけにとどまらない。それぞれのセクションに、担当学芸員と作家・作品との対話が重ね合わされている。作家活動が、工房制作から戸外制作へと大きく変わった事情が、セクションⅠの「自然とアトリエ」のなかで論じられる。
同様に、セクションⅡでは、「芸術と生の再・縫合―ヴォルプスヴェーデの芸術家コロニー」から二十世紀のキュービスム、シュールレアリスムにつながるグループ活動が紹介され、Ⅲ「北欧の自然とナショナル・アイデンティティ」では、自然との共生関係から生まれた祖国愛や心情世界を絵画化するやり方が語られ、Ⅳの「ゴッホと南仏の光」では、そこにさらに時間の位相が加わる。
展覧会は、これらさまざまの「対話」にもとづいて選び出された多彩な作品群から成る。例えば、レイセルベルヘの「ブローニュ=シュル=メールの月光」とチュニス近郊の光景を近代都市パリに移し替えたクレーの「月の出(サン=ジェルマン界隈)」とが並べられる。また、ゴッホの「刈り入れ」は、ピサロの「収穫」とグレーズの「収穫物の脱穀」のあいだに位置づけられている。ピサロやグレーズの画面には、収穫をことほぐ多くの人々が登場するが、ゴッホの刈り入れをする人は独りでひたすら鎌をふるう。収穫物を顧みないその姿は、必然的に鎌を持つ死に神の姿と結び付く。聖書の愛読者であったゴッホは、もしかしたら「一粒の麦」の寓意(ぐうい)を思い浮かべていたかもしれないが、いずれにしてもそこには「死」のイメージがある。それがやがてゴッホ自身の運命となることは改めて指摘するまでもない。
このような豊かな内容の「自然と人のダイアローグ」展は、きわめて見応えのある出色の企画展と言えよう。9月11日まで。
2022年8月18日 毎日新聞・東京夕刊 掲載