「祝毎日」としたためるミロ=東京都千代田区の毎日新聞社長室で1966年10月4日、写真部撮影

【目は語る】3月
ミロ展 日本を夢みて
表現者として欲した筆

文:高階秀爾(たかしな・しゅうじ=大原美術館館長、美術評論家)

現代美術

 日本でも人気の高いスペイン、バルセロナ生まれの画家ジュアン・ミロ(1893~1983年)、そのミロの画業を通覧する展覧会「ミロ展 日本を夢みて」が現在、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開かれている。ミロ自身の作品に加えて、多くの関連資料をそろえた出品点数140点ほどの異色の企画展である(4月17日まで、次いで愛知県美術館、富山県美術館に巡回)。

 展覧会構成は、第1章「日本好きのミロ」以下、「画家ミロの歩み」「描くことと書くこと」「日本を夢みて」「二度の来日」「ミロのなかの日本」、それに補章「ミロのアトリエから」を加えた全7章から成る。ほぼ生涯の軌跡をたどる章立てだが、特にミロの来日に焦点を絞った第4章、第5章が見逃せない。この時、日本に憧れたミロの「夢」は現実のものとなったわけだが、それとともに、夢見るミロに代わって、表現者としてのミロの姿が浮かび上がってくるからである。

 ミロの初来日は66年9月21日羽田空港着、日本各地を歴訪した後、10月5日羽田空港から帰国した。この間のミロの足取りは、新聞記事などを精査した松田健児・慶応大学准教授によって詳細に述べられているが、日時が特定できない訪問先として、東京・谷中にある田邊文魁堂の工房兼店舗がある。この時、田邊松蔵は、秘蔵の逸品も含めて40、50本の筆を並べて詳しく説明したが、ミロはそこに並べられた筆に魅せられて、すべてを買いたいと申し出た。田邊は全部売るわけにはいかないと押し問答を続けたが、結局押し切られてすべて売ったという。ミロにしてみれば、表現者としてどうしてもそれらの筆を手に入れたかったのであろう。

 離日の前日、10月4日、ミロは毎日新聞社を訪れて、落成したばかりの東京本社を祝って「祝毎日」という書を揮毫(きごう)した。この時ミロが田邊工房の筆を使ったかどうかはわからないが、そこに描かれた星型形状や円と線の組み合わせなどのモチーフが、10年前の「マキモノ」にも登場しているのが興味深い。

ジュアン・ミロ「マキモノ」(部分)1956年 捺染、絹 町田市立国際版画美術館ⒸSuccessió Miró/ADAGP,Paris&JASPAR,Tokyo,2022 E4304

 「マキモノ」という形式自体が日本の絵巻物からの影響を感じさせるが、差し当たりその点はしばらく置くとして、作品そのものは、絹の地に捺染(なっせん)の染色法で図柄を描き出した版画で、56年、パリのマーグ出版から50部限定で発行されたものである。今回の展覧会では、東京・町田市立国際版画美術館の所蔵品が出品されているが、なにしろ全長8㍍に及ぶ長大なものなので、会場ではその一部だけを展示ケースで見せている。

 版画である以上、同種の作品が他にもあるはずで、事実日本では、岡山・倉敷の大原美術館に存在する。全部ひろげてみせた末尾に、「Miró 24/50」という署名とエディション番号がミロ自身によって書きこまれている(『大原美術館所蔵品目録(1)海外作家)』2011年)。今回の町田市立国際版画美術館からの出品作にも、最後の部分に同様の署名とエディション番号(25/50)の書きこみがあることが、図録掲載の写真から読み取れる。

 瀧口修造やトリスタン・ツァラ、ポール・エリュアールなどの詩人たちと共同して刊行した詩画集への関心の高さと見事な出来栄えも、まさしく画家としてのミロの卓越した才能をよく示すもので、その成果はわれわれ見る者の目を奪ってやまない。まことに優れた表現者の面目躍如と言うべきであろう。

2022年3月10日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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