国宝 釈迦金棺出現図 平安時代・11世紀 京都国立博物館蔵

【目は語る】12月「最澄と天台宗のすべて」展日本文化の歴史的水脈示す

文:高階秀爾(たかしな・しゅうじ)(大原美術館館長、美術評論家)

仏教美術

 京都・平安京の北東部に位置する大津市の比叡山延暦寺は、日本天台宗の総本山として世界遺産にも指定されて広く知られている。2021年の今年は、その開祖・伝教大師最澄(767~822年)の1200年大遠忌の年にあたるため、その記念特別展として「最澄と天台宗のすべて」展が東京国立博物館で開かれた。この特別展は、引き続き22年に九州国立博物館で、次いで京都国立博物館で開催される。

 展示品は、会場によって若干の増減があるが、基本的に数多くの国宝、重要文化財を含む仏像、仏画、経典、仏具等、仏教美術の優品総数232件で、これらの名品を通じて長く日本人の心に受け継がれてきた美意識、価値観など、日本文化の歴史的水脈が明らかに示される意義深い内容となっている。

 展覧会構成としては、冒頭まず、インド、中国、日本の天台高僧(最澄を含む)の肖像を描いた国宝「聖徳太子及び天台高僧像」全10幅(一乗寺)をはじめ、重要文化財「伝教大師(最澄)坐像」(観音寺)、像内に最澄自刻(とされる)薬師像を納めていた「薬師如来立像」(法界寺)、最澄が招来した多数の経典類の目録などを集めた第1章「最澄と天台宗の始まり―祖師ゆかりの名宝」以下、「教えのつらなり―最澄の弟子たち」「全国への広まり―各地に伝わる天台の至宝」「信仰の高まり―天台美術の精華」「教学の深まり―天台思想が生んだ多様な文化」、そして比叡山延暦寺にならって東京・上野の山に東叡山寛永寺を創建した「現代へのつながり―江戸時代の天台宗」まで全6章で、各章に関連する美術の優品が配されている。

重要文化財 伝教大師(最澄)坐像 鎌倉時代・貞応3(1224)年 滋賀・観音寺蔵(今後の展示は九州会場のみ)

 例えば、第4章の場合、極楽往生を願う平安貴族のあいだに広まった源信の『往生要集』に語られている地獄の様相を詳細に描き出した国宝「六道絵」(聖衆来迎寺)のうちの「人道不浄相」は、桜の木の下で横たわる着衣の女性死体が時とともに醜い裸体像となり、最後には犬や鳥の餌食となるまでの姿をおぞましく描き出しており、後世の「九相図」の先駆的作品と位置づけられる。

 その一方で『往生要集』は念仏を勤めて西方極楽浄土の阿弥陀(あみだ)如来の国に往生すべきことを説き、日本浄土教の基礎を確立した。その影響は、美術では、念仏者の臨終に際して阿弥陀如来が諸菩薩(ぼさつ)とともに迎えに来るという重要文化財「阿弥陀聖衆来迎図」(浄厳院)などの来迎図像を生み出した。また、涅槃(ねはん)にはいった釈迦(しゃか)が遅れてやってきた母の摩耶(まや)夫人の嘆きを静めるために棺から起き上がって説法したという珍しい主題を描いた国宝「釈迦金棺出現図」(京都国立博物館)は、優美華麗な色彩表現によって、日本の美意識をよく示す好例であろう。

 なお、鎌倉新仏教の祖師たちの多くが比叡山で学問、修行したことは見逃せない。事実、浄土宗の法然は15歳から28年間にわたって比叡山で学び、浄土真宗の親鸞は20年間、日蓮宗の日蓮は約10年間、比叡山で修行している。また臨済宗の栄西、曹洞宗の道元も同様に比叡山で学んだ。

 第5章では、特に比叡山東麓(とうろく)にある日吉大社が、本地垂迹(すいじゃく)説に基づいて延暦寺の鎮守として尊崇され、多くの日吉山王曼荼羅(まんだら)図が生み出されたことが注目される。天下祭で知られる東京の日枝神社は、この山王権現を勧請(かんじょう)したものである。

2021年12月9日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

シェアする