国宝 土偶(縄文のビーナス) 茅野市所蔵 尖石縄文考古館保管(14日まで展示)

【目は語る】11月「縄文2021-東京に生きた縄文人-」展暮らしを具体的に探る

文:高階秀爾(たかしな・しゅうじ)大原美術館館長、美術評論家)

考古

 思い返せば何年も前のことになるが、パリの日本文化会館で大がかりな「縄文展」が開かれたことがある。フランス人にとっては、はじめて日本の縄文作品を目にする機会であった。

 その時、展示された土器、土偶の見事な造形表現に魅せられたフランス人から、さまざまな質問が寄せられた。質問は大きく分けてふたつある。ひとつは、これらの作品はいつごろ作られたのかという制作時期の問題、もうひとつは、特に土偶に関して、何のために作られたかという目的に関するものである。だが、この質問にすんなり答えるのは、必ずしも容易ではない。フランス人の疑問は、これらの展示品が優れた美術品だとする前提の上に成り立っているが、その前提は縄文人にはまったく通用しないものだからである。

 考古学的視点から言えば、縄文時代は新石器時代に属する。旧石器時代は狩猟採集時代で、人々は獲物を追って移動を繰り返していた。新石器時代になって刃先を鋭く磨いた新石器が登場し、それを使って農業が生まれ、生産品の貯蔵、運搬のための土器が作られ、人々は一定の土地に定住するようになる。つまり縄文時代は定住生活の時代であり、遺跡の発掘調査によって、多くの石器、土器、土偶などが姿をあらわした。現在、東京都墨田区の江戸東京博物館で開催されている「縄文2021―東京に生きた縄文人―」展(12月5日まで)は、これらの埋蔵文化財の逸品を一堂に集めて展示した見どころ満載の展覧会である。

町田市指定有形文化財 深鉢形土器 町田市忠生遺跡出土 縄文時代中期 町田市教育委員会蔵

 展示品のなかには都内で出土した見事なヒスイの装飾品も多数並べられているが、本来ヒスイは新潟県糸魚川市が国内唯一の産地であるので、当然糸魚川から運ばれてきたものだ。ということは、縄文人は定住地以外の地域との交易活動も展開していたことを物語る。事実、東京都内では、ヒスイのみならず、長野県・諏訪湖近辺産出の黒曜石や千葉県・銚子産出のコハクの飾りなども出土している。さらに、伊豆大島や三宅島などの島嶼(とうしょ)部にも多数縄文遺跡があり、これらの島々をめぐる交易活動も活発で、そのための丸木舟(全長6㍍を超える)も展示されている。まさに、縄文人の多様な生活様相がうかがわれる展覧会である。

 このように、縄文人の日常の生活、暮らし方を具体的に示すという意欲的な企画で、遺跡発掘史をたどりながら多数の出土品、埋蔵文化財を展示する。加えて図録では「縄文を探る」として、江戸東京博物館の藤森照信館長と東京都立大学名誉教授の山田昌久氏との対談という形式で、「着る/獲(と)る・食べる/祈る/動く/住む」というテーマを取り上げ、そこに見られる「縄文人の知恵」を紹介している。例えば縄文人がどのような衣装をまとっていたかについて、ひと昔前なら漠然と毛皮に穴をあけて着る貫頭衣(かんとうい)のようなイメージが通用していたが、植物の繊維を縦横に編んだ遺物の小片が発見されていることから、編み物の衣服をまとっていたのではないかという。また、住宅については、一般に竪穴式住居と考えられていて、実際にその遺跡が残っている地域もあるが、その構造はまちまちで、特に構造や仕上げについては発掘でも分からない。そこで展覧会特別企画として「縄文竪穴式住居復原(ふくげん)プロジェクト」を立ち上げ、実際に復原建物を造り上げてしまった。その過程の記録も含めて、何とも贅沢(ぜいたく)な展覧会である。

2021年11月11日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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