重要文化財 薙刀直シ刀 無銘(名物骨喰藤四郎)一口 13世紀 京都・豊国神社蔵

【目は語る】「刀剣 もののふの心」展邪気払う願い込め

文:高階秀爾(たかしな・しゅうじ)(大原美術館館長、美術評論家)

日本美術

 刀剣と聞けば、講談でおなじみの剣の達人の妙技か、人気アニメ「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」の激しい争闘場面が思い浮かぶ。つまり、刀剣は何よりもまず武器、すなわち戦争のための道具だというのが、一般の通念であろう。

 もちろん、源平合戦以来、実際に多くの刀剣が使用されたことは疑いない。しかし、現代まで名刀として大切に伝えられているものは、目的も利用法もまったく異なる。では、何のために制作され、保存されたのであろうか。

 その答えを教えてくれるのが、現在、東京都港区のサントリー美術館で開催されている「刀剣 もののふの心」展である。会場には、息をのむほど美しいみごとな刀剣と並んで、実際の使用を示す合戦絵巻、物語絵、武者絵、祭礼図など、数多くの絵画資料が展示されている(31日まで)。

 内容は、第一章「絵画に見るもののふの姿」、第二章「甲冑(かっちゅう)武具と刀装具 武家の装いと刀剣文化」、第三章「祈りを託された刀剣 古社寺伝来の名刀を中心に」の3章構成。それぞれの章に、重要文化財指定品を含む多くの作品が集められている。

 源平合戦絵などに見る往時の戦闘図で用いられる武器は、まずは弓箭(きゅうせん)、接近戦になれば槍(やり)、薙刀(なぎなた)などの長柄の武具で、太刀はほとんど出てこない。実際、甲冑姿の馬上の武者や、屋島、壇ノ浦など舟の上での海上戦では、刀を振るう余地はほとんどない。刀が用いられるのは、もっぱら倒した敵の首級を切り落とす場面で、これは、討ち取った相手が誰であるかを確認させる首実検に必要な大事な証拠品だからである。

重要文化財「酒伝童子絵巻」画/狩野元信 詞書/近衛尚通・定法寺公助・青蓮院尊鎮 三巻(部分) 1522年 サントリー美術館蔵

 この首切りの場面は、ごく控えめながら合戦絵にも描かれている。しかし何と言っても、日本刀が活躍するのは、重要文化財にも指定されている「酒伝童子絵巻」のような架空の物語世界においてである。物語の山場では、源頼光とその四天王の弟子たちが、太刀を振るって酒伝童子の首をスパッと切りはねる。太刀にこめられた神霊の威力、辟邪(へきじゃ)の力(邪悪なものを打ち破る力)である。

 このような背景を考えてみれば、今では観光の名物ともなっている京都祇園祭の山鉾(やまぼこ)巡行の先頭に配置されるのが長刀(なぎなた)鉾であることも容易に理解されるだろう。そもそも祇園祭も悪病退散を祈る祭礼だからである。

 とすれば、今日まで伝わる名刀がほとんどすべて神社への奉納品であることも当然であろう。例えば京都の豊国神社に伝わる名物、「骨喰(ほねばみ)藤四郎」と呼ばれる薙刀直しの刀では、刀身に不動明王の姿と毘沙門天を表す梵字(ぼんじ)が彫り出されていて、辟邪を願う「もののふの心」を示している。また、織田信長所持と伝えられた名刀「義元左文字」は、京都・建勲神社への奉納品で、現在も同神社に保存されている。

 そう言えば、『古事記』のなかで、須佐之男命(すさのおのみこと)が退治した八俣(やまた)の大蛇(おろち)から得たと語られている天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(草薙の剣)は、名古屋の熱田神宮に納められ、そのご神体として崇(あが)められた。

 このように絶えず日本の「もののふの心」を惹(ひ)きつけた名刀、名剣を、壮麗な鞘(さや)、鐔(つば)、下げ緒などの拵(こしら)えとともに、実際に目のあたりに眺めることのできるみごとな展覧会は、それ自体が刀剣の功徳と言ってもよいであろう。

2021年10月13日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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