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「ファッション・ショー」という名称が端的に示すように、「ファッション」はまた「見世物(ショー)」という一面を持つ。そこでは、ファッションは「着る」ものではなく、「見せる」ものとなる。
見世物は見せるべき内容を提供する「作り手」と、それを受容する「受け手」(観客)およびその両者をつなぐ「媒体」(広告、宣伝)の三者が揃ってはじめて成立する。とすれば、いずれもその時代の社会状況を反映せずにはおかない。特に「媒体」(メディア)は、技術の進歩によって急速にさま変わりする。ポスターや雑誌から写真、映像、テレビなどがメディアとして大きな役割を果たすようになる。すると「作り手」も逆にその影響を受けて、「テレビ写り」のよい衣装が数多く生み出される。このような実状のなかから、卓越した「作り手」を見分けるためには、優れた批評眼が欠かせない。戦後から現在までの日本のファッション史を辿ろうとする場合、特にそうである。
現在、東京都港区六本木の国立新美術館で開催されている「ファッション イン ジャパン 1945-2020―流行と社会」展は、洋装文化が曲がりなりにも生活のなかに定着した戦後日本のファッションの歴史を、入念な調査と優れた批評眼によって実現して見せた絢爛多彩、見どころ満載の展覧会である。その企画・実施にあたったのは、国立新美術館の本橋弥生、小野寺奈津、杉本渚、および共催館の島根県立石見美術館の南目美輝、広田理紗の学芸員諸氏である。出品点数は総計800点あまりに及ぶ(9月6日まで)。
内容構成は、「プロローグ」の後に10年ごとに時代を区切った七つの章が続き、最後に「未来へ向けられたファッション」という終章で終わる。つまり完全に時代の流れに沿った展覧会である。
戦後すぐの時期を扱った第1章では、まず日本の各地で設立された洋裁学校ブームが紹介される。洋裁学校を設立した田中千代が、たまたまニューヨーク滞在中にブルックリン美術館でファッションショーを開催した。日本人による海外ショーの第一号である。この時、田中は「ニューキモノ」を中心に発表して大きな反響を呼んだ。それは「キモノ」の持つ日本的感覚がアメリカ人には新鮮であったからであろう。

同じ頃、戦争中叙情的な少女像で人気を呼んだ中原淳一が雑誌『それいゆ』に「つぎはぎのたのしさ」や「フレアスカート」などのデザインを発表した。着物の端切れを利用したその表現を支えるのは、平面を立体に変貌させる折り紙の感覚である。千羽鶴の飾りがすべて1枚の紙であるのと同様、着物も平面の布であり、それ故、使用されない時は折り畳まれて収納される。この日本的感覚が三宅一生の「一枚の布」のコンセプトにつながることは言うまでもない。
端切れの利用は、また思いがけない表現を生み出した。川久保玲(コム デ ギャルソン)は縫製の途中で生じたほつれや穴、不整形などを意識的に用いたボディスやスカートを発表して、パリに鮮烈な衝撃を与えた。 このように見て来ると、日本のファッションとは、時代を超えて生き続ける日本の感覚、さらには日本的美意識の表れにほかならないと言ってよいであろう。
※「ファッション イン ジャパン 1945-2020―流行と社会」展は終了しました。
2021年8月11日 毎日新聞・東京夕刊 掲載