人生100年時代といわれる昨今だが、このところ時代を切り拓(ひら)いた重要な陶芸家たちが相次いで他界した。女性陶芸家としていち早くオブジェに取り組んだ「女流陶芸」代表の坪井明日香が一昨年8月に90歳で、富本憲吉や楠部彌弌(くすべやいち)らに続く個人作家として日展を中心に活躍した今井政之が昨年3月92歳で、さらに信楽という歴史ある窯業地の先駆的な女性陶芸家でNHK連続テレビ小説「スカーレット」のモデルにもなった神山清子が昨年12月87歳で逝去した。
いずれも亡くなるほぼ直前まで元気に制作を続けた作家であり、残された作品や資料も少なくない。坪井作品については、筆者も遺族や女流陶芸の作家たちと共に約160点をリスト化し、それらは主要な美術館に寄贈された。
今井作品については、長男で陶芸家の今井眞正(まきまさ)ら遺族や広島県竹原市職員らと一緒に、筆者は昨年末、登窯(のぼりがま)、穴窯のある竹原の作家の仕事場と京都の自宅で調査にあたり、作品757点と関係資料一式が竹原市に寄贈された。市は今井政之を顕彰する施設の整備を検討している。
有名作家が亡くなると代表作を数点ずつ複数の美術館に寄贈することが多い。作品寄贈は作家自身にとっても、遺族や関係者、美術館にとっても望ましいことである。しかし、この度の今井作品の寄贈には、代表作の展示紹介に資するという一般的寄贈以上の重要な意義と可能性がある。寄贈内容は作家の初期から晩年までの作風の変遷をたどり、公募展、団体展に出品された代表作を含むだけでなく、試作やスケッチなど、この作家の技法や表現を探求する過程や背景がわかる資料が包括的に含まれるからである。資料の活用の仕方で、日本芸術院会員にして文化勲章受章者でもある今井政之の代表作を見せるだけでなく、一人の陶芸家がどのように制作に挑み、歩んできたのか、表現を探求する姿勢や苦悩までも併せて紹介できる。
いわゆる「作品」以外に日本の陶芸家らしい実用の食器もあり、場合によっては実際にそれらを使用する場を設けることもできそうだ。またワークショップなどで、手で触れて楽しんだり、模刻したりする機会も作れるだろう。何より作家が築いた窯が竹原市内にあり、竹原を訪れた人々は、制作の現場や、作家が愛した竹原の海、モチーフとなった生き物の実物までも作品と共に楽しめるに違いない。実際、筆者も調査の折、アビという作品によく登場する鳥を、竹原の海辺で目にした。知らなければ見逃してしまうかもしれない美しい鳥に気づけたのは、今井作品でモチーフとして見ていたからである。
今井政之という陶芸家の総合的な資料の活用を通して、芸術家の生き方、竹原という地域の魅力、自然の豊かさなども知ることができる。竹原市は今回、貴重な芸術資源、教育資源、観光資源を得たのである。それは恐らく、現在の京都では煙が出るため焚(た)けない薪(まき)の窯をこの地に築き、存分に制作し、陶芸家人生を全うした今井政之からの贈り物であろう。
2024年3月10日 毎日新聞・東京朝刊 掲載