正月に一般家庭が門松を飾る習慣は珍しくなりつつあるが、商業施設や公共施設の門前で門松を見かけるとやはり清々(すがすが)しい気分になる。「門松」は名称から「松」が主役のようだが、造形的にはむしろ竹がフォルムの決め手であろう。もちろん、松・竹ともに吉祥モチーフである。
竹本来の太さと垂直性を生かした門松の竹も美しいが、竹を細いヒゴ状に削り、編組(へんそ)の技術を用いるとさまざまな造形表現が可能になる。昨年、竹工芸7人目の人間国宝に認定された藤塚松星(しょうせい)(1949年生まれ)は、繊細な編みによる花(はな)籃(かご)からダイナミックなオブジェまで手がける幅広い作域の持ち主である。
彼はまた竹工芸に色彩的要素を取り入れた作家でもある。従来、竹籃に漆で艶を出すことや、竹のイメージを逸脱しない範囲でのヒゴの染色はあったが、彼は、竹にはタブーとされていた鮮やかな紫色なども積極的に使用する。しかも色の扱い方が独特で視覚トリック的でもある。ヒントは某駅の三角柱の立て看板であったという。広告の内容が、見る角度により、がらりと変わる。藤塚は三角柱看板の原理を、ミクロの視線で竹ヒゴに向けた。それが「彩変化」シリーズのきっかけとなった。普通に削ればヒゴの断面は四角い。それを例えば一度黒で染めた後、対角線でカットして断面が三角のヒゴとし、新たに表れたヒゴの側面を別な色で染めたヒゴで作品を作る。すると作品を見る角度により、色が完全に反転したり、曲面なら、よりドラマチックな色の階調を見せたりするのである。「彩変化花器『月舟』」のように、見る角度による色の反転を利用し、一つの花器が、月と、月明かりに照らされる舟とのダブルイメージを示す作品もある。
日本には竹が盛んな地域があり、大分、大阪、栃木などには代々続く竹の作家もいるが、藤塚は竹工芸の外からこの世界に入った。北海道出身で、公務員の父の転勤により神奈川県の大磯で育ち、現在も大磯で制作する。街で偶然見かけた竹細工に興味を覚え、日展の竹工芸作家・馬場松堂に師事し、抽象絵画のような額装作品や、動感豊かなオブジェなど、竹の編組でできるあらゆる表現に挑戦した。しかし意欲作は落選も多く、師の勧めで日本伝統工芸展へと発表の場を移す。確かな技術とセンスで繊細かつ新鮮な作品に取り組むが、そこでもまた、しばしば酷評され落選も経験した。紫の竹ヒゴも当初は批判の的であった。
ところが批判も落選も次作の栄養とエネルギーに変換できるのが藤塚の才能である。彼は少しも怯(ひる)むことなく、聞くべき批評は聞きつつも、むしろより大胆に挑戦的に進化していった。「新しさ」を受け入れがたい審査員や工芸界に失望することもなかった。「彩変化」もそうした挑戦の一つである。かつて選外となった作品の数々も、現在は米メトロポリタン美術館や平塚市美術館(神奈川)など国内外の美術館に収蔵されている。藤塚にとって挑戦と創造、その継続はセットである。人間国宝として、高度な技術や表現力とともに、その作家姿勢も後進に伝えてほしい人である。
2024年1月14日 毎日新聞・東京朝刊 掲載