大谷早人 籃胎蒟醬十二角食籠「清流」(2022年制作)

【KOGEI!】
香川漆芸の歴史と現在

文:外舘和子(とだて・かずこ=多摩美術大学教授)

漆芸

 第87回香川県美術展(工芸・写真部門は14~20日)の審査のため、香川県立ミュージアムを訪れた。昨今、日本各地で県展改革が進んでいるが、香川は1934年の第1回から全国公募で実施してきた県展先進県である。今年から40歳以下の奨励賞受賞者に、翌年の作品発表の場を提供する「若手支援制度」を設けるなど、時代に即した工夫も見られる。そうした動きが、県展のマンネリを打破し、地元の鑑賞者に幅広い表現を身近に楽しむ場を提供し、美術館も、県展に対し一つの企画展レベルで取り組む熱意を生み出していく。

 しかも、そうした改革やグローバリズムの一方で、香川県ならではの確かな地域性も如実に見られるのである。

 一般に、公募展や団体展の工芸部門は、陶芸と染織が多勢を占め、漆芸、金工、木工などは少数派となることが多い。ところが香川県展では、陶芸に次いで漆芸作品の応募数が多く、受賞作も6点中の半数が漆芸であった。そのうえ作品の形状が個々に全く異なる。例えば最高賞の香川県知事賞受賞作は不定形な面取りをした幾何学的な形態にミニマムな螺鈿(らでん)の線をあしらったモダンな漆の花器であり、香川県教育委員会賞受賞作はアシンメトリーな曲面で構成した形に色漆を重ねて研ぎ出し、流麗な形の面の美しさを引き出していた。

 実は、そうした現代の立体表現としての独創的な漆芸を生み出す歴史的背景が、香川にはある。

 一般に、漆芸は石川県の輪島や福島県の会津が知られるが、香川も日本を代表する漆芸の盛んな地域である。江戸後期には、藩の漆工職人として玉楮象谷(たまかじぞうこく)が香川漆芸の礎を築き、中国や東南アジアの漆芸技法が導入されていく。また、明治期には石川・富山・香川・佐賀の4カ所に日本を代表する工芸・工業学校が設立されるが、その一つ、高松工芸高校は、讃岐漆器(香川漆器)の振興を目的として1898年に開校している。

 さらに戦後の1954年には香川県漆芸研究所が設立され、人間国宝を含む錚々(そうそう)たる講師陣が授業料無料で研修生を指導してきた。漆芸の人間国宝も多く、磯井如眞、音丸耕堂、磯井正美、太田儔(ひとし)、山下義人に続き、2020年、大谷早人が認定されている。いずれも、彫りの技術とカラフルな色漆などを駆使する蒟醬(きんま)や彫漆の技法を得意とする作家たちだが、注目すべきは、石川の漆芸が木地師、塗師(ぬし)、蒔絵(まきえ)師など分業を基本に発達したのに対し、香川では素地の成形も加飾も一人で行う在り方が、伝統工芸の領域においても早くから育まれてきたことである。

 今回、県展で一緒に審査した香川在住の大谷早人も、籃胎(らんたい)蒟醬の漆芸作品を、竹の編みから自身で手がけている。香川では漆芸に形から取り組む習慣が歴史の中で培われ、現在も香川の作り手の多くが、漆芸を立体表現としてまず発想する。香川県展に並ぶバラエティーに富んだ形の漆芸作品は、そうした歴史を反映し、その歴史が現代に息づいていることを示しているのである。

2023年7月9日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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