幕末から明治にかけて活躍した画家、河鍋暁斎(1831~89年)と、探検家で北海道の名づけ親でもある松浦武四郎(18~88年)。この2人と聞けば、興味をそそられる。異色作「武四郎涅槃(ねはん)図」(86年、松浦武四郎記念館蔵)が2人をつなぐだけでなく、武四郎は本展「画鬼河鍋暁斎×鬼才松浦武四郎」を開催した静嘉堂文庫美術館(東京・丸の内)とも浅からぬ縁があるという。
武四郎はかつての伊勢国の生まれ。自ら、そして幕府の命で蝦夷(えぞ)地調査を重ね、アイヌの文化を書き残した人だ。少年のころから古銭収集に熱を傾けるなど、好事家ぶりを発揮していたが、開拓判官の職を辞した後はいっそう拍車がかかる。
暁斎に5年間かけて描かせたという「武四郎涅槃図」を見ればそれがよく分かる。中央に横たわるのは、入滅した釈迦(しゃか)に見立てた自身。玉でつくった大首飾りを着け、居眠りをしているような普段着姿だ。もっと面白いのは、周囲に描かれる武四郎愛玩の品々。手のひらサイズの小さな像や、掛け軸から飛び出た手長猿や羅漢、かわいがっていた犬猫まで。その様子は現世で見るファンタジーのようで、お気に入りのものに囲まれた自分を見て、このうえない幸せを感じただろう。
武四郎は何度も描き直しを求め、暁斎は「いやみ老人」だと愚痴るほどだったが、武四郎の強い思い入れを、抜群の技術とアイデアで具現化してみせた。画中に繰り返し登場する天神や観音は、2人のあつい信仰を表しているのだという。
涅槃図に描かれた品々の一部は鍵付きの木箱に収められて、静嘉堂で眠っていたという。それが分かったのは約10年前。今回、涅槃図と展示で〝再会〟を果たした。
見つかった武四郎の旧蔵品は、静嘉堂の創設者、岩崎弥之助が購入したもの。武四郎も暁斎も文人ネットワークのなかで交流を結び、古物もまたそのなかで流通した。担当した学芸員の吉田恵理さんは、同様の文人趣味を持っていた弥之助だから購入したのだろうと話す。武四郎の幼なじみの川喜田石水、石水の蔵書を受け継いだ孫で陶芸家の半泥子と、弥之助の子・小弥太との関わりも伝え、好古が結ぶ縁も紹介する。6月9日まで。
2024年5月13日 毎日新聞・東京夕刊 掲載