このところの明治工芸の再評価は「超絶技巧」なる流行語を生むとともに、極小の世界で最大の密度を上げるタイプの工芸が、美術館やギャラリーで積極的に扱われるようになった。細やかさと精度は日本人が得意とするところであり、掌(てのひら)サイズは一般の人々も手に入れやすい。それらに工芸ならではの技術や表現力が宿っていることも確かである。近ごろでは、作品ができ次第購入するという客を抱え、制作に追われるこのタイプの人気若手工芸家もいる。
ただしこの傾向が「工芸=小さな作品」という誤解を与えかねないという一抹の危惧もある。工芸を規定するのはサイズではなく、作者が、ある特定の素材を前提に表現を展開しようとしているか否かによる。素材が土なら陶芸家、金属なら金工家、竹なら竹工芸家である。昨年イギリスの工芸雑誌『Crafts』の表紙を四代田辺竹雲斎の巨大な竹のインスタレーションが飾ったことも記憶に新しい。
陶芸においてスケールの大きな空間表現が開始されたのは1970年代半ばであった。茨城県笠間市で制作する伊藤公象(こうしょう)はその先駆者である。彼は74年、第1回北関東美術展でタタラ(薄くスライスした土)を手で捻(ひね)り成形した陶のピースを集積して、高さ1㍍、縦・横1メートル50センチの作品を発表し、また同年の個展でタタラのピースによる直径2メートルの円形2組を展示した。後者においては、片方の円は既に焼いたもの、もう片方は画廊内でタタラを捻って生の状態で設置し、時間の経過と共に乾燥・硬化していく様子を、焼成したもう一つの円と対比させた。伊藤の作品は、陶芸において土とは何か、焼くとは何かを考えさせるものであり、その意味で現代美術的インスタレーションを超えて陶芸の本質に迫る作品でもあった。
伊藤は複数ピースの集積で空間的な表現を行ってきたが、80年代になると、大学で陶芸を学んだ若き作家たちが、大きな土の造形を分割して焼成し、その後ボルトなどで繫(つな)いで大型の一体的な作品を制作するようになる。昨年「関西の80年代」展(兵庫県立美術館)で紹介された田嶋悦子や、同世代の井上雅之はその手法の先駆者である。彼らは、窯のサイズという陶芸の制約を乗り越え、空前のスケール感を手に入れた。もちろん、大作をどこで分割するか、その繫ぎ目が最終的に表現に生きるような工夫も厭(いと)わない。けれども昨今の超絶技巧への賛辞とは異なり、当時の評論家の中には、彼らの陶芸をやきものらしくないと酷評する者もいた。
しかしながら伊藤の作品にも、田嶋や井上の作品にも、素材である土と真摯(しんし)にわたりあった各作家の身体性がダイレクトに反映されている。陶芸、工芸には、作者の指先の器用さだけではなく、全身で素材に立ち向かう表現もある。土の可塑性を起点に、人がそのエネルギーを吸収し、かつ心が解放されていくような表現が、今まさに必要な時代でもあろう。
2023年3月12日 毎日新聞・東京朝刊 掲載