ヴェロニカ・グリチェンコ「蒟醬春桜鶴紋盒子」

【KOGEI!】
漆がつなぐ世界

文:外舘和子(多摩美術大学教授)

工芸

 我々日本人は湿度と闘い続けた夏であったが、漆には湿度が必須である。漆の木は中国、韓国、日本、ミャンマー、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジアなど湿潤なアジアで生育し、漆の樹液も、湿度が高いほど早く乾き、漆器制作に有利である。漆が「乾く」とは、洗濯物のように水分が飛んで乾燥するのではなく、空気中の水分と反応して「固まる」ことを指す。工芸はその土地の自然や風土と結びついて発達するが、アジアは漆の文化・芸術を発展させる条件をそろえていたのである。

 さらに漆芸にはさまざまな技法があり、現代の作家は個々に選んだ技法で各自の表現に至るが、歴史を振り返ると、国ごとに得意とする表現スタイルもある。

 例えば日本は蒔絵(まきえ)を駆使した繊細華麗な箱などに名品が多く、ベトナムは色漆や研ぎ出しによる絵画的表現が知られる。ミャンマーは漆の面を線刻し、色漆を充塡(じゅうてん)して研ぎ出す蒟醬(きんま)技法を発達させた国の一つであり、緻密な模様の漆器が充実している。

 現代では、各国が発達させたさまざまな技術が世界に広まり、アジアのみならずアメリカ、フランスなど欧米を含むさまざまな国の漆芸家が活躍するようになった。現在、理不尽な状況下に置かれているウクライナも例外ではない。

 ウクライナ出身のヴェロニカ・グリチェンコ(1958年生まれ)は、仏教美術や寺院建築を研究する中で、ミャンマーのバガンを訪れ、この地の漆器に魅了された。同時にそれが衰退しつつあることを知り、2000年、同地に漆工房「ブラック・エレファント・スタジオ」を設立し、漆器のデザイナー兼工房オーナーとして現地の職人と共に漆器の制作を始めた。

 ミャンマーの伝統的漆器は赤系を主体とした色調で、器の全面を精緻な模様で埋め尽くすものが主流である。ヴェロニカはそこに明るい珊瑚(さんご)色や淡い紫、水色などの爽やかな色を取り入れ、鳥や花を、生地の黒も生かして躍動的に描く。工房で働くミャンマーの職人たちの確かな技術がその漆器の質を支える。それらは、ミャンマーの伝統に則(のっと)った竹を捲(ま)いて作る捲胎(けんたい)である。故に手に取ると軽いが、漆の下地や塗りの重ね方を工夫し、極めて丈夫に作られている。

 くしくもこの秋、東京で彼女の作品を含む展覧会が開催される。「アジア漆の造形と祈り 東南アジアの漆」(24日~10月4日、東京芸術大大学美術館陳列館1階)では、東南アジアの国々の漆器と、東南アジアに影響を受けたアメリカ、フランス、ウクライナ、日本などの現代漆芸家の作品が一堂に並ぶ。器、オブジェ、パフォーマンスの衣装など、漆は表現上も、作家の出身国も、全方位的に展開している。

 ヴェロニカはウクライナに一時帰国した際、戦禍に遭い、無事ではあるが、まだバガンに戻っていないようだ。接着力の強い漆が、世界の人々を再び強く結びつけてくれる事を願っている。

2022年9月11日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

シェアする