ジョー・プライスさん(右)と妻の悦子さん=東京都千代田区で2013年2月、岸桂子撮影
ジョー・プライスさん(右)と妻の悦子さん=東京都千代田区で2013年2月、岸桂子撮影

【寄稿】追悼 ジョー・プライスさん(江戸絵画収集家)若冲愛の結晶「心遠館」

文:奥平俊六(おくだいら・しゅんろく=大阪大名誉教授)

日本美術

 米オクラホマのプライス邸を訪れたのは、1979年の早春だった。バートレスビル郊外の邸内の一角に「心遠(しんえん)館」は建っていた。心遠館とは、江戸時代に京都で活躍した画家、伊藤若冲(1716~1800年)のアトリエの名前である。僕はまだ大学院生で、後輩のSさんと2人だった。

 心遠館での体験は忘れがたいものになった。建築自体が不思議きわまりない。垂直の壁が一つもなく、その壁にふかふかの絨毯(じゅうたん)が貼られている。部屋の真ん中に池があり、外光を遮るのは障子戸。柔らかな光と適度な湿気。ブルース・ガフがプライスさんの意を汲(く)んで、江戸時代の絵画を見るためだけに設計した建物であった。ちなみに近くにあったお兄さんの家はガフの師フランク・ロイド・ライトの設計である。

 僕たちは睡眠と食事休憩のとき以外は、1週間絵を見て過ごした。この話をすると、厭(あ)きませんでしたかと問われることがあるが、厭きる暇がなかった。というか、コレクションの江戸絵画を見る以外にやることがなかった。外に出れば砂漠なのである。厭きる時間はすぐに過ぎ去り、「絵はどんな体勢で見てもいいんだよ」とジョーさんがいうので、僕は絨毯の貼られた段差に逆さに寝転んで見たりした。作品に感応し、いっしょにいること。それをひたすら続けた。Sさんがふと「奥平さん、絵を見るだけで、研究もせず、書き物もせず過ごせる職業ってないでしょうかねえ、あったらいいのになあ」とつぶやいたのに、僕は深くうなずいた。

 プライスさんは石油関連企業、主としてパイプラインを施設するプライス・ファミリーの御曹司として兄とともに会社を継いだ。若いころニューヨークのギャラリーの前を通りかかったとき、ショーウインドーの水墨画に惹(ひ)きつけられて思わず購入したのが、たまたま若冲の初期作品「葡萄(ぶどう)図」であった。そのときはまだコレクターでもなく、日本の絵画や若冲について何も知らなかったそうだ。ただ、その絵に吸い寄せられるようにして、そこから少しずつ収集していったという。

 プライスさんの考え方は、とてもシンプルだった。日本の江戸時代の絵画は、どの民族のどの時代の絵画よりもすばらしい。それをみんなに知ってほしい、そしてとことん愛(め)でてほしい。その考えを確認し共有するために、まずコレクションを若い日本美術史研究者たちに見てもらいたいと思った。ちょうど全米の美術館を1カ月かけてまわる計画を立てていた僕たちは、心遠館に長く滞在した最初の学生であった。職を得てからも、西海岸のコロナ・デル・マーの海辺に移った新しい「心遠館」におうかがいし、歓待していただいた。

 若冲と江戸時代絵画の人気はしだいに高まり、2000年の京都国立博物館の「若冲展」が一つの画期となり、その後何度も展覧会が開催された。国内ばかりではなく、12年にはワシントンのナショナル・ギャラリーで、18年にはパリのプティ・パレで大規模な「若冲展」が開催され、欧米でも大きな話題になった。また、この間の13年には大震災に心をいためたプライス夫妻の発案で「若冲が来てくれました―プライスコレクション 江戸絵画の美と生命―」展が復興支援の一環として宮城、岩手、福島を巡回し、いずれも大盛況であった。

 僕はこれらの展覧会でしばしばオクラホマの心遠館のことを思い出し、プライスさんの目を感じた。「オクダイラ、大丈夫? ちゃんと作品を愛でている?」と問いかけるそのいたずらっぽい目の奥に、時空を超えて若冲がいた。

 たくさんの豊かな時間を与えていただき、ありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りします。

 ジョー・プライスさんは4月13日、米カリフォルニア州で死去。93歳。

2023年6月15日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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