アーティゾン美術館副館長・笠原美智子さん=小出洋平撮影

 美術館学芸員として約30年間、女性や性的少数者の表現を見つめてきた笠原美智子さんが『ジェンダー写真論 増補版』(里山社)を刊行した。これまで展覧会図録などに寄せた論考をまとめた2018年版に、写真家・長島有里枝さんとの対談など100㌻を追加したものだ。日本の美術館で初めてフェミニズムの視点で編んだ展覧会「私という未知へ向かって 現代女性セルフ・ポートレイト」(東京都写真美術館、1991年)を企画した笠原さんに話を聞いた。

 ◇展覧会を通し問題共有

 --本書は、自明とされた美の基準を問い返しながら、歴史・社会状況とともに、なぜそうした表現が生まれたのか述べるものです。自身がこれらの作品にひかれる理由にも触れていて、30年前の文章でさえ、胸を打ちます。

 ジェンダーの視点を取り入れた展覧会が相次いだ90年代後半には、西洋の思想にかぶれていると言われ、論争になったこともありました。しかし、作家にとっても、キュレーターにとっても、(表現や展覧会に結びついたのは)切実な思いがあったからです。誰しも生活のなかで経験してきた疑問があるでしょう。そこで展覧会を見て、「これは個人的な問題でなく、社会的な問題なのだ」と気づくこともできる。展覧会を通して問題を共有したかったのです。

 でも、91年に書いた文章が古びていないのは、全くうれしくないですね。女性の意識は変わったかもしれないけど、社会システムが変わっていないということですから。

 --性的少数者の作品を論じる際の対象との距離の取り方も共感します。自分が当事者でないと明らかにした上、当事者性を引き受けようとする姿勢は一貫しています。

 顕著だったのが、エイズを巡る表象を扱った展覧会です。自分自身の声で、自分の姿を表そうとしてきたジェンダーやフェミニズムの考えからすると、非当事者の自分がやっていいのかずっと考えていました。ただ、周りを見回してもやる人はおらず、「やらなくてどうする」と。私は美術館の学芸員であり、展覧会を組める立場にいる。それは一つの当事者ですよね。

 アメリカで学んだことも大きいと思うんです。米国のニコラス・ニクソンがエイズの患者をステレオタイプ化して撮影し、88年の展覧会で批判を受けました。そこからみんなが学びました。写真家は「誰に対して、どの位置で撮っているのか」、キュレーターにとっては「どんな人に向けて、どういう立場で発しているのか」を明確にしなければならないということです。

 --ではこの間の日本の美術界の変化をどう見ますか。

 国際展が2000年以降増え、女性だけでなく非欧米の作家がかなり紹介されるようになりました。ジェンダーの視点を取り入れた展示もここ数年多いです。一方で、美術館のコレクションとなると、展示と収集が結びつくのはごくわずか。特に公立美術館は購入予算が激減し、男女に限らず作品の収集が進んでいない。だから時代がジャスパー・ジョーンズやアンディ・ウォーホル、ゲルハルト・リヒターらで止まっていて、以降の作品はほとんど収集されておらず、特に海外や女性の作家は少ない。見る機会は多いのに、もったいないですね。

 --写真美術館、アーティゾン美術館(東京)はいかがでしょう。アーティゾンは印象派のベルト・モリゾや抽象表現主義のリー・クラズナーら、女性作家に目配りし、コレクションを見直しています。

 美術館は批評空間なのだと思うんです。作品と空間で、何らかの現代的なイシューを批評する装置です。批評し、未来に作品を送ることが、美術館の務めです。従って、展覧会と収集は不可分だと思います。美術館には収集の基本方針がありますが、具現化する際には、そこにどんなキュレーターがいて、どういう興味を持っているのかが非常に大きい。写真美術館時代は、自分が女性の作家展をやってているわけだから、(収集対象に)女性の作家が多少は多くなりました。ここ(アーティゾン)は本当にうまくやっています。私が来たからではなく、代々の館長が今までの路線を守りつつ、ラインを少しずつ膨らませていっています。

 --今後、美術館で取り組んでいきたいことは。

 マネジメントですね。後輩たちがちゃんと働きやすい環境にしていくこと。写真の賞の審査員も含めて、少しでも呼吸しやすい環境を作りたいです。自分自身の展覧会はやれるだけやりましたから。

 ◇記者のひとこと
 2018年に刊行された『ジェンダー写真論』は、反響を呼んだ。増刷分を売り切ったとき、増補版として新たに刊行したいと版元から提案されたという。笠原さんは「1人でやっている出版社であり、この本を大切に思ってくれているから実現できたこと」と話していた。約30年間の文章を収録した増補版を読むと、自身が抱える問いを重ねながら、著者が愛情を持って作品や作者を描こうとしてきたのが分かる。だから、文章を読んでいると、作者や著者の問いが読者の問いに重なり、作品が魅力的に浮かんでくる。過去の展覧会を今、見てみたくなった。

PROFILE:

笠原美智子(かさはら・みちこ)さん

1957年、長野県生まれ。東京都写真美術館、同現代美術館学芸員を経て、現職。第51回ベネチア・ビエンナーレでは日本館コミッショナーとして、石内都展を開催。本書には石内のほか、ダイアン・アーバス、ロバート・メイプルソープ、シンディ・シャーマン、やなぎみわ、嶋田美子、森栄喜らの作品が登場する。

2023年1月8日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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