吉阪隆正が設計した「日本館」=原田祐馬撮影(国際交流基金提供)
吉阪隆正が設計した「日本館」=原田祐馬撮影(国際交流基金提供)

 ベネチア・ビエンナーレ国際建築展2023を訪れた(11月26日まで開催)。日本館のキュレーションは、若手建築家の大西麻貴と百田有希が担当し、「愛される建築を目指して―建築を生き物として捉える」をテーマに掲げた。

 彼らは「o+h」というユニットとして活動し、熊本地震震災ミュージアム(2023年)や山形の児童遊戯施設(22年)など、風景に溶け込む新しい感覚の建築を設計し、次々と話題作を発表している。もっとも、展示では自作を紹介せず、会場となる日本館そのものを読みとくことを試みた。すなわち、吉阪隆正が手がけた日本館(1956年)にどのような思想が込められていたかを検証している。

ドットアーキテクツによるピロティ。中央の水野太史によるモビールが上階とつなぐ=原田祐馬撮影(国際交流基金提供)
ドットアーキテクツによるピロティ。中央の水野太史によるモビールが上階とつなぐ=原田祐馬撮影(国際交流基金提供)

 抽出されたトピックは、以下の通り。風土への応答、チームによる議論、建築に生命を吹き込む細部のかたち、職人とともにつくることの大事さ、そして完成後も場を育てること。おそらく、これらはo+hのデザインに対する基本的な考え方と共鳴しており、間接的に彼らの建築観を伝えていた。

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 60年代に登場したメタボリズムの運動は建築に生物の新陳代謝のシステムを応用したが、o+hはモノに生命をうつし、建築を生物とみなすことで、愛される可能性を問う。日本館では吉阪のスケッチや日記などの資料、スライドを展示したほか、インスタレーションも加えた。例えば、テキスタイルデザイナーの森山茜によるやわらかい天幕を庇(ひさし)のように架け、水野太史が拾い集めた陶片をつるしたモビールで館の内外を垂直につなぎ、ドットアーキテクツは現地のリサイクル素材を活用しながら、ピロティに人々が集う場所を創出する。

 ところで、ビエンナーレ全体の総合キュレーターは、ガーナ系のレスリー・ロッコがつとめ、これまでとは全然違う雰囲気だった。有名なスターアーキテクトがほとんど消え、特にアフリカ系の建築家やアーティスト、また女性や若手を積極的に起用したからである。その結果、ポリティカル・コレクトネス色が強くなり、日本館は浮いていたという指摘もなされた。しかし、チーム構成、館自体を題材とすること、有機体としての建築、素材、リサイクル、記憶への関心など、他の展示と共通する同時代の感覚も少なくない。ただ、その表現方法は、日本館としてのユニークさをもっていた。

2023年8月24日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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