ダイニングの様子。高さの異なる壁梁が直交する=後藤武氏撮影

【評・建築】後藤武の自邸歴史的文脈と高度な「翻訳」

文:五十嵐太郎(建築史家・東北大大学院教授)

建築

 神奈川・逗子にある後藤武の自邸を訪れた。彼とは20年以上前から面識をもっていたが、初めて見学する作品であり、こんなにすごい建築を設計できることを知って驚かされた。

 後藤は建築史の研究と批評でも活躍し、フランスの近代において組積造から鉄とコンクリートに構造が変化する過程を詳細に論じた『鉄筋コンクリート建築の考古学 アナトール・ド・ボドーとその時代』(東京大学出版会、2020年)は、日本建築学会著作賞を受賞している。後藤邸は住宅地の奥にある尾根の先端にたち、玄関となる2階レベルの外廊下からアクセスし、階段を下りると、豊かな自然と向きあうテラスと全面ガラス張りの細長いダイニングが出迎える。ここは東南アジアで見学した、洗練された現代住宅を想起させる開放的かつ気持ちが良い空間だ。

 また反対側の西を向く浴室も、ガラス戸を開けると、緑に飛び込む露天風呂のようになる。これだけなら身体に快適なリゾート風という説明ですむが、特筆すべきは、同時にヨーロッパの古典主義やモダニズムの系譜を継ぐ、高度に知的な形態操作も共存していることだ。

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 構成としては直方体の箱を上下に重ねるが、南北・東西の2方向に182㌢ずつずらして、旋回する動きをもたらし、重なる部分が吹き抜けとなる。上の箱は3×3の正方形で9分割し、そのラインに沿って、上から幅が30㌢、90㌢、120㌢の白い壁梁(かべばり)を直交させる一方、下の箱は、上の箱の分割線から91㌢ずらした位置に本棚を兼ねる焦げ茶色の間仕切り家具を配した。

 閉ざされた部屋はない。その結果、ゆるやかな分節、比例に基づくリズム、対称性、重層性、透明性、呼応の関係などが生じ、空間が複雑化する。頭上の壁梁群は、この家に暮らす2匹の猫の領域でもある。後藤邸は、正方形プランや白い壁梁の構成を特徴とする、ジュゼッペ・テラーニのカサ・デル・ファッショ(1936年)を参照している。もっとも、後者は鉄筋コンクリート造だから、本人によれば、前者は木造2階建てへの翻訳だという。

 ちなみに、異なる素材への翻訳のプロセスに創造が生じることは、彼の著作『鉄筋コンクリート建築の考古学』のテーマでもある。後藤邸は、近年めずらしい歴史研究と設計手法が批評的な構えで結びついた重厚な作品だ。

1階のライブラリー。吹き抜けに面した2階は本棚になっている=後藤武氏撮影

2023年6月22日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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