東京都渋谷区の区立松濤美術館の開館40周年を記念し、その設計者である白井晟一(せいいち)(1905~83年)の展覧会が開催されている。タイトルはずばり「白井晟一 入門」展となっているように、彼の青年期や最初期のプロジェクトから、ほとんどの作品を網羅しつつ、文化人とのネットワーク、書や装丁の仕事(特に有名なのは中公新書や中公文庫だろう)にいたるまでを紹介し、初めて知る人にとってもその全貌をよく伝える内容だ。
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しばしば孤高の建築家と評されるが、師弟関係を軸に系統図を描きやすい日本の建築界において、白井は歴史的な位置づけから逃れるような存在である。モダニズムやポストモダンといった流行からも隔絶しており、そもそも新しいとか古いといった評価ができない。例えば、群馬県の旧松井田町役場(56年)は神殿のようだし、長崎県佐世保市の親和銀行本店の第1~3期(66~75年)、東京都港区のノアビル(74年)は、時空を超えたモニュメントを想起させる。現代の開かれた建築やプログラム重視のデザインとは異なる美学を貫き、今なお、かたちの強度は圧倒的だ。
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今回の展覧会では、移築などによって、現存する民間のプロジェクトがいくつもあることを改めて示し、白井の作品が強く愛されていたことをうかがわせる。また広瀬鎌二など、彼の仕事を手伝った人物に光をあてたことも興味深い。とくに大村健策が製図工として住み込みで働き、代表作の原爆堂計画(55年、実現せず)などの美しい図面を描いたことは重要な情報だろう。
また通常の模型では、白井による建築の質感や独特な雰囲気を表現しにくいのだが、美術館における展示であることを踏まえると、アーティストの岡崎乾二郎が監修して制作した親和銀行東京支店(63年、現存せず)や原爆堂の模型は見どころのひとつだった。白井と対峙(たいじ)する彫刻のような模型とでもいうべきか。
なお、本展は12月12日までが第1部「白井晟一クロニクル」の会期であり、1月4日からは第2部「Back to 1981 建物公開」として松濤美術館そのものを題材とし、当初の姿になるべく戻して公開するという。建築展で本物の空間を体験できる貴重な機会になるはずだ。
2021年11月17日 毎日新聞・東京夕刊 掲載