紀尾井清堂の外観=吉田誠氏撮影

【評・建築】
内藤廣 紀尾井清堂
時空を超えた存在

文:五十嵐太郎(建築史家・東北大大学院教授)

建築

 資本の回収ばかりが先立ち、野心的なプロジェクトが減っている東京の都心に驚くべき建築が久しぶりに誕生した。通常の設計のプロセスと違い、あらかじめ用途を確定せず、建築家の内藤廣(ひろし)(1950年生まれ)に「思ったように造ってください」と依頼したからだ。その結果、余計なものがない、根源的な建築の空間が出現した。

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 4本のねじれた多角柱が、15㍍角のコンクリートの立方体を持ち上げ、まわりをガラスの箱で包む。キューブの内部は、4層の吹き抜けになっており、それぞれ異なる向きの階段でつながれた各フロアは、テラスをはりめぐらせ、天井の九つの深い穴から光が差し込む。

階段でつながれた吹き抜けの空間=吉田誠氏撮影

 ビル街であることから、基本的に壁は開口がなく、ガラスとコンクリートのあいだには外階段を設けている。都会にいることを忘れ、日中は太陽の動きとともにうつろう光だけを感じる、コスモロジーを帯びたシンボリックな建築だ。内藤は、頂部にトップライトをもつ巨大なドームを備えた古代ローマの神殿パンテオンを意識したというが、なるほどキューブ状のパンテオンである。

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 考えてみると、内藤はバブル期に時間をかけて、傑作の「海の博物館」(92年、三重県)をていねいに設計したように、時流とは距離をおいた建築家だ。紀尾井清堂は究極の事例だろう。太い柱が並ぶ1階のデザインも興味深い。石州瓦の焼成窯で使われた棚板を再活用し、サイズや表情がばらばらの素材を現場で組み合わせながら、床や壁の仕上げに用いる。おそろしく手間のかかる作業によって強烈な存在感を獲得し、さらに内藤が自らアートワーク的な仕上げも壁に施した。

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 建築史において使い勝手が良いという理由だけで名が残る作品はない。どんな建築でも必ず使い方は変化し、それでも空間の強度が維持されるものが名作となる。生涯学習を推進する団体が施主である紀尾井清堂は、完成した時点から、すでに長く存在していたかのようだ。新築であるにもかかわらず、かつてここではどのような使い方がされていたのだろうと想像させる不思議な空間かもしれない。「失われた機能」を未来に向けて思考させる、時空を超えた建築である。

2021年10月20日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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