関係者の相次ぐ辞任によって注目された東京オリンピックの開会式と閉会式は、断片的な場面をつぎはぎした統一感の欠如が印象的だったが、デザインの点から評価すべき点をいくつか挙げたい。まず、森山未來の鎮魂のダンスである。彼は五輪の直前、岡田利規作・演出の「未練の幽霊と怪物」において、競技場の計画案が白紙撤回されたザハ・ハディドの役を演じ、その無念を舞によって表現していたからだ。もちろん、開会式はコロナ等で亡くなった人らに捧(ささ)げたものだったが、その舞台を知っていると、ザハの亡霊が重なって見える。
また無数のドローンによる地球はオリジナルではなく、海外製の既存プログラムということで批判されたが、二次元のエンブレムを三次元化したことは良かった。なぜ、それが可能になったかというと、野老朝雄が精緻に考案した組市松紋の幾何学パターンが多様に展開しうる汎用性(はんようせい)を持っていたからである。ちなみに、彼は建築出身のデザイナーであり、しかもザハと同じく、ロンドンの建築学校AAスクールで学んでいた。
終盤で思いがけず、とりあげられたのが、ピクトグラムである。もともと1964年の東京五輪のときに日本の精鋭デザイナーたちが創作した、画期的な視覚記号のシステムの歴史が紹介され、今回のピクトグラム50個を身体で表現する(学芸会風の)パフォーマンスが続いた。
今回の東京五輪では、廣村正彰がピクトグラムを手がけている。彼は、これまで山本理顕やC+Aなど、建築家とのコラボレーションも多く、空間の特性にあわせたサインデザインを担当してきたから、適任だろう。メインステージは建築的な映画美術で知られる種田陽平、聖火台の上下に分かれる球体はやはり建築出身の佐藤オオキが手がけた。聖火台は、太陽と富士山のイメージだ。下手をすると、キッチュになりかねないモチーフにあえて挑戦している。さて、全体の演出について感じたのは、都市空間を大胆に活用した北京五輪(08年)やパリ五輪(24年)の予告に比べると、東京という都市、あるいは巨大なスタジアムのスケール感をいかした演出が少なかったことが気になった。
2021年9月15日 毎日新聞・東京夕刊 掲載